ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

概要編集

元々は名門京極家の譜代家臣の家系出身であったが、戦国大名として浅井家が独立するとそちらに従った。亮政久政長政の三代に渡って使えた重臣中の重臣であり、城内に居館を持つことを許された数少ない家臣の一人。

海北綱親雨森弥兵衛の二人とあわせて『海赤雨の三将』と称された。

その忠義から全ての当主に信頼されたが、近隣の名族六角家に対して弱腰な久政に不満を持ち、遠藤直経と共謀して長政への当主交代劇を引き起こした人物でもある。当主が長政となった後は老齢を理由に表舞台に出ることは無かったが、軍目付として若き新当主を補佐した。

浅井家が織田信長朝倉義景の板挟みとなったときは、親朝倉の立場を取って織田と敵対した。やがて戦況が不利になって朝倉家が滅亡して、浅井家も風前の灯となっても小谷城に籠って最後まで抵抗し、敗れると自刃して果てた。

その忠義心は信長にも認められ、子は助命されたという。

関連記事

親記事

浅井長政 あざいながまさ

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 5433

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました