概要
遠藤直経とは、戦国時代の武将。通称としては喜右衛門が有名であるが、喜左衛門という説もある。
浅井長政の家臣として知られる。
生年は分かっていないが、1531年に生まれとも言われる近江国坂田郡出身。
浅井長政が幼い頃から相談役を務めており、様々な相談を長政から受けていたとされ、長政が六角氏に臣従していた父である浅井久政を隠居させた折にも力となったとされ、六角氏との戦いでも活躍したとされる。
織田信長の才能と浅井にとっての危険性を早くに見抜き、佐和山城での長政との対面時での宴席や、織田・浅井婚儀で信長の接待役を務めた折に長政に暗殺を提言したが、その提案は受け入れられることはなく暗殺は未遂に終わったとも言われる。
もっとも、長政が信長を裏切る事を選んだ折には、信長が既に畿内を制圧した現状を鑑みてこれに対抗するのは今では困難として反対したとも言う。
元亀元年6月28日(1570年7月30日)の姉川の戦いで竹中重矩に討たれた。
「太閤記」では敗走する浅井軍に逆流するように一人、介錯した友人三田村左衛門の首を持ち織田の兵を装って織田軍本陣に向かい信長に三田村の首実検をして貰いたいと称して間近に迫りその殺害を謀るも、旧知の間柄であった重矩に見破られ討死を遂げたという。
また一人ではなく今村氏直、弓削家澄が従っていたとも言う。(氏直は直経戦死の報に引き返して討死したとも)