概要
武田信玄の次女として1545年(異説あり)に誕生。母は三条夫人。本名は不明。
同母兄は武田義信。異母弟は武田勝頼、仁科盛信や武田信清など。同母姉は黄梅院。同母妹は真理姫(真竜院)(異母妹説もある)。異母妹は桃由童女、菊姫(大儀院)と松姫(信松尼)。
武田家重臣にして実の従兄弟・穴山信君(梅雪)と結婚して、彼の正室になる。彼との間に穴山勝千代(武田信治)を産んでいる。
信玄存命時には夫・信君は重用されていた。だが、信玄の後を継いだ武田勝頼と信君の仲は悪かったと言われている。信君は長篠の戦い(武田対織田・徳川)において主君・勝頼の命令を無視して軍を動かさず、武田軍が敗北する原因を作った(この直後、武田家中では信君の処刑を望む声があった。だが武田家中における信君の影響力は大きかったため、勝頼は信君を不問にした)。
その後、勝頼は上杉謙信と和睦し、謙信の後継者・上杉景勝と甲越同盟を締結。さらに毛利輝元とは甲芸同盟を締結することで引き続き織田信長に対抗し一時は盛り返すも、第二次高天神城の戦いに敗北して次第に劣勢となる。
そして1582年に信長が徳川家康、北条氏政・氏直と共に武田家を攻めると、信君は主君であり従兄弟であり義兄弟でもある勝頼を裏切り、織田方につく。その後、武田家は滅亡した。
だが、それから約三ヶ月後に本能寺の変が起き、その混乱に巻き込まれた信君は落武者狩りによって横死。
その後、未亡人となった見性院は徳川家康により保護される。武田宗家は、家康の命令で見性院の子・穴山勝千代(武田信治)が継ぐが、夭折。のちに家康は自身の五男・信吉に武田家を継がせる(のちに信吉は松平姓に復姓したが、見性院に養子入りしている)。
家康が関ヶ原の戦いに勝利し、その3年後に江戸幕府を開く。同年に武田信吉が子を持たないまま死去する。
しばらくして見性院は幸松(徳川秀忠の子。のちの保科正之)の養母となった。そして異母妹・松姫(信松尼)と共に彼を養育した。
1622年6月17日(元和8年5月9日)、江戸城田安門内の比丘尼屋敷において病没。墓所は清泰寺であり、墓標としてケヤキが植えられた。そして幕末に、松平容保(保科正之の義理の子孫)によって墓塔が建てられた。
登場作品
演:岡田奈々
なぜか、異母妹の名前で登場した。
演:丹阿弥谷津子
もう一人の見性院(山内千代)のイラストをPixivに投稿する際の注意点
山内千代(山内一豊の正室)の法名も見性院だが、本記事における見性院との混同を避けるために、千代のイラストをPixivに投稿する際に付けるタグは、山内千代にするように。