甲越和与
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こうえつわよ
戦国時代に締結された、武田家と上杉家の和睦。2回締結され、のちに同盟(甲越同盟)へと発展した。名前の由来は、お互いの本拠地である甲斐(現在の山梨県)と越後(現在の新潟県の本州の部分)の頭文字から。
第一次甲越和与
かつて、武田信玄と上杉謙信は川中島の戦いで5回争った。しかし永禄12年(1569年)に、信玄は駿河侵攻によって対立していた北条氏康・氏政による脅威を退けるべく対北条戦に集中しなければならなかった。一方、謙信も越中一向一揆に苦戦していたため、武田と上杉は共に和睦することを望んだ。こうして、室町将軍・足利義昭や織田信長による仲介のもと信玄と謙信は和睦(第一次甲越和与)。武田、上杉と織田の三者は友好関係を築いた。しかし、信玄は信長による盟約違反(信長は武田と織田に両属していた遠山景任の没後、信玄に一切相談せずに息子を遠山氏を景任の養子にし、事実上遠山氏を織田の家臣とした)第二次信長包囲網の主要人物となったため、武田と織田は断交。この時点では、謙信は信長を支持したため、第一次甲越和与は自然消滅した。
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