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生没年 1530(享禄3)年~1569(永禄12)年


安芸氏は飛鳥時代の豪族・蘇我赤兄を祖と称する国人。その名の通り安芸郡(高知県安芸市)を拠点としていた。

概要

父・元泰が早くに亡くなったために14歳で家督を継ぎ、その後は重臣・畑山氏の後見を受けながら成長した。

1560年頃より長宗我部元親の台頭により、長宗我部元親と争った。

一時期は休戦状態が続いたものの、1569年に元親の挑発により再び戦う。

しかし、安芸勢は支城を次々と落とされ、最終的に本城の安芸城にて籠城したものの家臣が離反し、国虎は兵士の助命を条件に自害した。

長男の弘恒は阿波へのがれたが、1582(天正10)年の中富川の戦いで戦死(異説あり)。

次男の家友は製紙を学び、山内一豊の土佐入国の際に自製の紙を献上したことで、幡多郡代官職と御用紙方役に任ぜられ代々勤めた。1919(大正8)年には勧業殖産の功績により従五位を追贈され、現代でも「土佐和紙中興の祖」として知られる。


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