経歴
ポジションは捕手、右投げ右打ち。
小学校4年生であった2001年に母親が癌で死去、それ以来父親に弟と共に男手ひとつで育てられる。
福岡工業大学附属城東高等学校、福岡大学卒。2013年オフのドラフト会議にて、阪神タイガースから4位指名されてプロ入りした。
プロ入り後
ルーキーイヤーから1軍入り、同年は前評判の高かった長打力で7本塁打をマークしたものの、打率は振るわなかった。以降もしばらくは1軍と2軍を行き来した。
2017年からは正捕手争いをしていた原口文仁が一塁手へコンバートされ、更に昨年スタメンマスクを被ることの増えた坂本誠志郎も骨折などで開幕には間に合わなかったため、開幕からスタメンマスクを任され正捕手の地位を掴むことになる。打率.206と振るわなかったものの打点33とチームに貢献し、オールスターに選出され、盗塁阻止率は小林誠司に次ぐ第2位だったことなどから評価を大きく上げた。
2018年シーズンは原口や坂本とスタメンを争いながらも、1年間正捕手として出場。6月終了時には打率.217と前年同様打撃面は振るわなかったものの、その後調子を上げ8月には月間MVP候補に上がった。成績はキャリアハイとなる打率.259 8本塁打 47打点。盗塁阻止率もリーグ2位と、守備面でも大きく貢献した。阪神では1988年の木戸克彦以来となる規定打席に到達。また2010年の城島健司以来となるゴールデングラブ賞を受賞するなど、名実ともに「虎の正捕手」として結果を残した。ゴールデングラブ賞は2020年まで3年連続で受賞。
2021年は東京オリンピックの日本代表に選出され金メダルを獲得したが、シーズン後半戦は疲労のため攻守ともに精彩を欠いてしまい、坂本誠志郎がスタメンマスクを被る機会が増えた。2022・23年は坂本と共に捕手併用で出場していたが、2023年シーズンは8月13日のヤクルト戦で死球を受けて骨折、戦線離脱。以降はほぼ坂本に任せ、同年の日本シリーズでは第6・7戦で代走要員としてベンチ入りしていた。