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概要編集

プロ野球選手。現在の所属球団は阪神タイガース

1994年12月19日生まれ。茨城県下妻市出身。


つくば秀英高等学校から白鴎大学へ進学。

高校時代は投手兼遊撃手として高校通算27本塁打を放ったが、甲子園へ出場することは叶わなかった。

白鴎大時代には三塁手として日米大学野球選手権大会に出場。日本代表の四番を任されるも、15打数2安打1打点と不本意な結果に終わる。


2016年のNPBドラフト会議で阪神タイガースから1位指名を受けてプロ入り。背番号は3

なおドラフト当時、田中正義や佐々木千隼といった投手を指名すると予想されていたことから野手である大山の指名には驚きの声があがった。

また、指名の瞬間には会場から悲鳴に似た声や失笑があがるなど、大山の指名は失敗だというレッテルを貼る者も少なくなかった。


ところが6月末に一軍昇格を果たすと、8連敗中とチームが低迷していたなか、7月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦で原樹理からプロ初安打で決勝打となる3ランホームランを放つ。

シーズン終了時点で打率こそ.237とそれほど高くはなかったものの7本塁打、38打点をマークするなど待望の生え抜き大砲候補として大器の片鱗を見せた。


2018年は昨季、三塁手としてゴールデングラブ賞を獲得した鳥谷敬や、二塁手で規定打席に到達した上本博紀の兼ね合いもあって大山をレギュラー不在の遊撃手にコンバートする案が浮上した。

しかし実戦で守れるレベルにないと判断されると、鳥谷を二塁手にコンバートし、大山を三塁手のレギュラーとして育成する方針を打ち出す。

しかし、シーズンが始まってみるとコンバートされた鳥谷と正三塁手として期待された大山が打撃不振で成績が低迷し、上本の離脱や植田海北條史也ら遊撃手の台頭、糸原健斗が正二塁手として定着するなどあって鳥谷を三塁手に再コンバートし、シーズン途中からは調子や相手ピッチャーなどによって併用する形をとられた。

9月16日の横浜DeNAベイスターズ戦では、NPB史上20人目となる1試合2ホームランを放ち、第6打席で第9号3ランホームランを放ったことで、NPB史上7人目(セ・リーグでは4人目タイ記録)となる6打席6安打を記録するなど球史に名を活躍を見せた。(6打席6安打3本塁打はNPB史上初の記録となる)

しかし「2年目のジンクス」といわれたシーズン前半とは打って変わって、8・9月の打率は.350を超えるなどの好調もあり、出場試合・安打・本塁打・打点全てにおいてルーキーイヤーの前年を上回った。


2019年シーズンは矢野新監督のもとオープン戦から四番・三塁手としての起用が続いた。試合終盤にはジェフリー・マルテに代わり、一塁を守ることも多い。オープン戦では打棒が振るわなかったが、シーズンが始まると、3・4月で6本のホームランを放つなど好調。5月3日の横浜DeNAベイスターズ戦7回戦では自身初となるサヨナラ打を放ち、勝利に貢献する。8月上旬までは矢野監督の起用によって四番でフルイニング出場していたが、やがて下位打線に打順が降格になるとスタメンを外れることもしばしば。爆発した昨秋とは打って変わって、苦しいシーズン終盤となった。それでもキャリアハイとなる14本塁打、76打点はチームトップで、貧打にあえぐチームの中軸打者として活躍した。


2020年シーズンは、昨季のチーム課題でもあった攻撃力の向上のため、MLB通算92発の大砲ジャスティン・ボーア、KBOの打点王ジェリー・サンズが加入し、外国人枠をかけた競争を促した。

一塁手専門のボーアを起用するため、昨季一塁手として出場したジェフリー・マルテが本職の三塁手へとコンバート。三塁手として出場していた大山は、マルテとポジション争いをすることとなった。

オープン戦では大山は3本の本塁打を放ち、オープン戦首位打者となるなど結果を残した。

その後開幕スタメンこそ逃したものの、ボーアの不調およびマルテの離脱もあって、チャンスとばかりに奮闘し突如覚醒し、サンズ共々主軸として活躍。サンズの勢いが落ち込んだ後は、またしても四番して活躍。本塁打王の座を岡本和真に譲ったものの自己最多の28本塁打と昨年の倍の本塁打を量産、貧打解消に貢献した。


2021年シーズンはキャプテンに就任。開幕時も四番三塁手を任されたものの、シーズンを通して背中の張り等の故障や死球による怪我に悩まされ、一時の好調期を除いて絶不調の時期が長引き、得点圏打率も2割台前半にまで落ち込んでいった。しかし、それでも要所要所で殊勲打を挙げ、勝利打点リーグトップタイ、二度のサヨナラ安打(特に9月4日のサヨナラ本塁打はジャイアンツを優勝戦線から事実上脱落させる程「大事な場面」でのものだったこともあり、更に打たれたビエイラはその後翌年まで引きずる程大不振に陥り、ルーキーの大勢に守護神の座を奪われた)を打つなど肝心要の部分での勝負強さは光り、本塁打も最終的には20本を数えた。

シーズンオフでのファン感謝デーでは「キャプテン総選挙」(※選手間での投票によるキャプテン選出)の予選を通過し、2022年キャプテンの座を近本光司坂本誠志郎と争うも、惜しくも本選で敗退した。


2022年も、背中の張りや左足の故障などに引き続き悩まされ、開幕当初から長らくは不振であった。

しかし、交流戦に突入するといわゆる「確変状態」となる程に再覚醒し、7本塁打&21打点の交流戦打撃成績において2冠を獲得。チームも呼応するかの如く開幕時の絶不調ぶりが嘘のように12勝6敗と健闘し、シーズン中とは言えもはや絶望視されていた最下位脱出をも成し遂げた。MVPこそ交流戦優勝に貢献した村上宗隆に譲ったものの、交流戦首位打者に輝いたオリックスの杉本裕太郎共々、特別賞として日本生命賞を受賞した。その後オールスターにも監督推薦で初出場を決めた。

また、7月3日の試合では通算100号本塁打を記録。球団日本人4番目の記録となっている。

その後はコロナ禍による離脱を含め、夏場には苦しい時期もあったものの、課題であった得点圏打率は3割超と勝負強さに磨きがかかった他、本塁打数は23本と昨年よりも上回っており、打点に関してもセ・リーグ2位の87打点とキャリアハイを更新する活躍で、主軸打者としての役割を果たした。


2023年は岡田監督の方針もあり一塁手に専念することに。

全試合に4番ファーストとして出場しチームのリーグ優勝に大きく貢献した。

この年は、打線において、四球を選ばせることを徹底させた岡田監督方針のもと、上位から下位まで隙が目立たない繋がりのある打線が構築されたことで、ポイントゲッターの役割が分散されたこともあり、本塁打及び打点の数字こそ前年を下回り、全体を通しても4番打者としてはそこまで多い方ではなかったりする。だが、これまでとは異なり故障に悩まされることが少なかったことから、好不調の波が少なくシーズンを通して安定して活躍を見せ、四球の数は99個とリーグダントツの数を記録しており、最高出塁率のタイトルを獲得した。


2024年も4番ファーストとして開幕を迎えたが、オープン戦で発症した下半身のコンディション不良が影響したのか開幕直後から不振に陥る。その後も不振から脱却することはできず、打率1割台にまで低迷したこともあり6月5日には不振によるものとしては自身6年ぶりの2軍落ちを経験。それでも再調整を経て21日に復帰してからは復調しシーズン終盤には再び4番ファーストとしてチームを支えた。最終的にはチーム3位の14本塁打、68打点を記録。さらに得点圏打率に関してはリーグ2位の.354と抜群の勝負強さを見せた。



人物編集

プレースタイル編集

非常に美しい放物線を描くホームランを打てる選手で、レフト方向に放つ本塁打は文字通りのアーチとなる。守備面でも送球エラーこそ散見されるものの強肩で守備範囲も広く、特に一塁守備への評価が非常に高い。

決して俊足とは言えないが、走塁への意識が非常に高くどんな場面でも全力疾走することが特徴。

盗塁を除いた走塁での貢献度を表すUBRでも、リーグトップクラスの成績を残している。


基本的にはホームランパフォーマンスを行っていないが、前述の通りどんな凡打でも常に一塁まで全力疾走する大山が唯一全力疾走しないケースが、打った瞬間にホームランと分かる打球を放った際にみせる「確信歩き」であり、確信歩きこそが大山最大のホームランパフォーマンスとみるファンも少なくない。

2023年7月25日に甲子園で行われた横田慎太郎さんの追悼試合で逆転2ランを放った際には、ヘルメットを天に掲げ追悼の意を表した。


性格編集

性格が非常に良く、なんJで言うところのぐう聖として知られている。具体的なエピソードも以下のように多い。

  • 凡打はもとよりホームラン性の当たりであっても一塁まで全力疾走を常に行う(例外は打った瞬間にホームランと分かった際の確信歩き)
  • 後輩やチームを離れて浪人に近い存在の選手にも笑顔で気さくに話しかける(プロ・アマ時代問わず、後輩からは異口同音に「大山さんは優しい」と慕われている)
  • 試合終了後の全員でのお辞儀を綺麗に整わせるために3秒声に出して数える(キャプテン時代の取り決め)
  • 死球を受けても嫌な顔一つしない。それどころか相手投手を気遣うことも
  • スタッフに対しても率先して気遣ったり腰の低い対応をみせる
  • 後片付け等の裏方仕事も一人で黙々とこなす
  • 試合中に読売ジャイアンツ坂本勇人選手に対して阪神ファンが野次を飛ばした際には(自分を応援しているはずの)阪神ファンを睨みつける
  • 信号無視は絶対にしない
  • 福留孝介が阪神移籍直後に嘆くほど練習量が少ないとされた阪神において、入団当初は(チームメイトからの遊びに出かける誘いを断って)一人で黙々と、近本加入後は二人で自主練習を行い、やがて大山や近本を慕う後輩選手がみんな真似をするようになり、阪神を練習量の多いチームへと変貌させた(特に大山は後輩にも積極的に話しかけていたので、大山と一緒に練習したいと思う後輩選手が多かったものと思われる)

エピソード編集

ドラフト時編集

大山が指名された2016年ドラフトは、創価大学の田中正義や桜美林大学の佐々木千隼など投手の逸材が多いという前評判であった。さらに当時の阪神では能見篤史安藤優也ら主力投手陣の高齢化が課題となっており、さらに、会議前日には記者の「1位のサプライズは?」という問いに対し、金本知憲監督が「ないでしょう。投手?でしょうね」と答えていたことから1位指名は即戦力の投手が本命と見られ野手の1位指名はないと予想されていた。

しかし会議当日、阪神は投手ではなく内野手の大山悠輔を1位指名。ある種のサプライズ的な指名であったからか会場からは悲鳴に似た声と失笑が湧き起こってしまう。本人にとっても相当悔しい出来事であったようで、大山自身も「一生、忘れることはできない」と語っている。

さらに評論家からも散々な評価で、ある雑誌のドラフト採点では「史上最悪」とまで書かれたこともあり、同年ドラフトで阪神に指名された他の選手に対して「俺のせいでこんな言われ方してごめん」と謝り倒したという。


なお、当時の阪神は投手だけでなく野手にも課題を抱えており、特にマウロ・ゴメスの退団や他の選手の不振も相まって一・三塁を守れるスラッガータイプの選手の獲得が急務であった。さらにウェーバー順が阪神よりも早いオリックス西武が大山の上位指名を匂わせていたことから、大山を獲得するには1位指名でなければ難しかったとも言われている。

また、先述の田中正義や佐々木千隼でさえも、度重なる故障に苦しんでは思う様に力が発揮できなかったことや、大山が不動の4番として2023年の日本一に貢献したことから、結果論ではあるが当時のドラフト戦略は間違ってはいなかったとも言える。(田中がリリーフ配置転換で開花の兆しを見せたのも日本ハムに移籍した後の話である。)


関連タグ編集

阪神タイガース

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