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経歴

1995年6月9日生まれ。鹿児島県日置市出身。

父はロッテオリオンズなどでプレーした、元プロ野球選手の横田真之

ポジションは外野手左投左打。

抜群の身体能力で鹿児島実業高校時代は主に4番打者としてレギュラー入りし、パワーヒッターとしてだけでなく左投げの投手としても福岡ソフトバンクホークスら5球団のスカウトから注目を集めた。2013年オフのドラフト会議にて、阪神タイガースから2位指名を受けプロ入り。

プロ3年目の2016年、当時就任1年目だった金本知憲監督の目に留まり、1番・高山俊(メイン画像左)、2番・横田慎太郎の打順で開幕1軍入り・スタメンを勝ち取った。1軍公式戦では38試合の出場・20安打・4盗塁を記録し、2軍では(同じ左打者であった)掛布雅之二軍監督の指導を受けた。

2017年、春のキャンプ離脱後の精密検査で脳腫瘍と診断され、手術の後リハビリ生活を余儀なくされた。2018年には支配下契約から育成契約に切り替わったが、「自分で打った球が見えない」「ボールが二重に見える」と選手生命に関わる後遺症のため、2019年シーズン終了をもって自ら現役引退を決断。球団職員として残る話もあったが、本人は固辞した。

2019年9月26日の福岡ソフトバンクホークスとの2軍戦が引退試合となり、途中出場での守備から(視力に不安が残る中)本能で投げた奇跡のバックホーム」による補殺が反響を呼んだ。

現役引退後は講演やコラム執筆などの活動を行っていた。幻冬舎から自伝的エッセイ「奇跡のバックホーム」が2021年に発売、翌2022年3月には間宮祥太朗主演でテレビ朝日系列で実写ドラマが放送された。

2020年には脊髄に腫瘍が転移し放射線治療で除去するも、2022年には以前「寛解」状態だった脳腫瘍が再発。事実上治療不能となった2023年春からは療養生活を送り、同年7月18日に逝去した(28歳没)。

葬式には球団関係者の他、同級生やファンも訪れており、霊柩車を送り出す際には六甲おろしも歌われた。7月25日の公式戦では球場で追悼セレモニーも行われている。

この年、阪神タイガースは9月14日に18年ぶりのリーグ優勝、そして11月5日に38年ぶりの日本一を決めており、優勝・日本一決定時の試合で岩崎優がクローザーとして入場するときには横田の入場曲だった「栄光の架橋」(ゆず)が使われ、岩崎の胴上げでは横田が使用していたユニフォームも一緒に宙を舞った(リーグ優勝を決めた際、サンテレビでは湯浅明彦アナウンサーが「横田さん、今どこで見てますか?先輩達が、同期生達が、そして…あなたの愛した後輩達が、優勝という最高の結果を残してくれましたよ。あなたのことは一生忘れません」と熱い言葉を残していた)。

晩年は同じ阪神OBの「代打の神様川藤幸三とタッグを組んで、YouTubeチャンネル「川藤部屋」に度々出演。チャンネル内では「プロデューサー」としての立ち位置で自身の近況も報告していた。

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横田慎太郎
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