プロフィール
生年月日 | 1991年6月19日 |
---|---|
出身 | 静岡県静岡市清水区 |
経歴 | 清水東高―国士舘大学―阪神タイガース |
ポジション | 投手、左投左打 |
背番号 | 67(2014~20年)→13(2021年~) |
経歴
2013年秋ドラフト会議で阪神タイガースから6位指名されてプロ入り。背番号は67。
当初阪神は5位で指名を終える予定であったが、岩崎が他チームに指名されることなく残っていたことを受け、中尾孝義スカウトの推薦もあり急遽6位で指名されることとなった。
なお本人は指名されると思っていなかったらしく、指名の瞬間は寮の部屋でゲームをしていたと後に語っている。
2014年はオープン戦から一軍に帯同。
4月2日の中日戦で先発しプロ初登板すると、5回無失点の好投でプロ初勝利を挙げた。その後先発の一員として活躍し、最終的には16試合に先発登板し5勝(4敗)を挙げた。
2015年は開幕当初から先発ローテーションに入ったが、打線の援護の無さも相まって3勝10敗と大きく負け越した。
2016年も3勝5敗と先発投手としては不本意な成績に終わる。シーズン終盤はチーム事情から中継ぎとしても登板した。
2017年は金本知憲監督の意向により中継ぎに転向。
66試合に登板し、4勝1敗、防御率2.39の成績をあげ「勝利の方程式」の一員として活躍した。
2018年は、先発復帰も視野に入れてキャンプ中は調整していたが、チーム事情もあって中継ぎに専念。
最終的に61試合に登板するも、中途半端に先発調整したことや前年までの疲労もあり防御率4.94と前年よりも成績を落とした。
その後は中継ぎに専念し2年連続で防御率1点台と活躍。
2020年オフには背番号13へ変更した。
2022年は守護神スアレスの退団や新外国人カイル・ケラーの不振もありクローザーに転向。57試合に登板し28セーブを挙げたが、急遽配置されたこともあってか6敗を喫しWHIPも1.33とやや高い数値を残すなど安定感を欠く場面も目立った。
オフにはFA権を行使したうえで4年契約で残留した。
2023年は当初セットアッパーとして開幕を迎えたが、湯浅京己の故障及び不振に伴う離脱もあって、再度クローザーに急遽抜擢された。昨年の経験もあってか、昨年に比べ抜群の安定感を誇りチームの優勝に大きく貢献した。
マジック1と優勝が目前に迫った9月14日の巨人戦では、同期入団で7月に早逝した横田慎太郎さんの登場曲「栄光の架橋」で最終回のマウンドに登板。リードを守り切って胴上げ投手となり、横田さんのユニフォームと共に宙を舞った。
最終的には60試合に登板し12ホールド、35セーブを記録。昨年と同じく、シーズン途中での配置転換だったにもかかわらず、自チームが夏場から鰻登りで絶好調だった他、セーブ王のタイトルを争っていたライデル・マルティネス(中日)及び田口麗斗(ヤクルト)が、各所属チームが泥沼の最下位争いを繰り広げる程の不振で登板機会が少なくなった(ただしR. マルティネスに関しては防御率0.39を記録するなどセーブ成功率は極めて高く、終盤で負傷離脱したことが致命傷となったといえる。)こともあり、初タイトルであるセーブ王にも輝いた。
プレースタイル
スリークォーターからキレのいい速球と変化球を織り交ぜる技巧派左腕。
直球は140キロ台中盤ながら球持ちが非常に良く、とある記事では体感速度156km/hと評された。
マウンド上ではポーカーフェイスを貫き淡々と投球する。
人物
マウンド以外では以下のように、いたずら好きでひょうきんな一面を見せることで知られる。
また、記者のぶら下がり記事や広報を通じてのコメントが妙に無機質でそっけなく、コロナ禍のシーズンの2021年には、救援成功後のコメントにて毎回「0点で抑えることができてよかったです」とだけ流されることがSNSで話題に。その後このコメントをモチーフとした球団グッズも作成された。(ヒーローインタビューでも割と素っ気ないが、上記の面を踏まえてのある種のファンサービスであると考えられる)
2022年に結婚を発表した際は「結婚することができてよかったです」とコメントを残した。