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概要編集

阪神タイガースに所属するプロ野球選手。

1999年7月17日生まれ、三重県尾鷲市出身。

ポジションは投手。右投右打。


独立リーグ出身者としては史上初となる投手タイトル獲得およびWBC出場を果たした。


人物・経歴編集

学生時代編集

中学時代までは内野手として地元の野球チームでプレー。

その後、福島の強豪・聖光学院高校に進学したものの、腰の成長痛に悩まされ一時はマネージャーへの転身を余儀なくされた。

その後2年秋にようやく投手として選手に復帰。3年夏の県大会では投手転向1年目でありながら最速145km/hをマークするなど成長を見せたが、投手陣の層の厚さもありその年の甲子園はベンチ外であった。


早い段階でのNPB入りを目指すべく、卒業後は独立リーグBCリーグ(当時)の富山GRNサンダーバーズへの入団を決めた。


独立リーグ時代編集

2018年は先発ローテの一角として15試合に登板。3勝7敗、防御率5.72と成績自体は良くなかったものの、伊藤智仁監督(当時)の指導も相まって、1年で球速が最速151km/hまで上昇したことがスカウトから高く評価された。


2018年秋のドラフト会議で阪神タイガースから6位指名を受けNPB入り。背番号は65

富山球団所属の選手としては初めて支配下指名でのNPB入りを果たした。


阪神時代編集

阪神入団後もしばらくは怪我に苦しんだが、4年目の2022年に大ブレーク。

矢野燿大監督からセットアッパーに抜擢されると、59試合に登板し45ホールドポイント、防御率1.09と抜群の安定感を誇りチームに大きく貢献。同年の最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得し、独立リーグ出身の投手としては初のタイトルホルダーとなった。


前年の活躍が評価され、2023年3月に行われた第5回WBCにも出場。

独立リーグ出身の投手としては初めて侍ジャパンに選出された。

本戦ではリリーフとして3試合に登板。中国戦で3者連続三振を奪うなど世界一奪還に貢献した。


2023年は岡田彰布監督の方針でクローザーとして開幕。

しかし、前年からの疲労やケガの影響もあり6月15日を最後に1軍マウンドからは遠ざかり、最終的にはわずか15試合の登板で防御率も4点台に終わった。

その後ファームで調整を行っていたものの、監督の発言からCSなどでの登板はないと思われていたが、日本シリーズ第4戦でまさかの復帰登板。同点の8回表、2アウト1・3塁の場面で登板しわずか1球でアウトを取ると、チームも9回にサヨナラ勝ちを果たした。

さらに翌日の第5戦でも2点ビハインドの8回表に登板し三者凡退の好投で、直後の逆転劇に繋げるなど、流れを大きく変える切り札としてチームの日本一に貢献した。


2024年はオープン戦から調子が上がらず開幕2軍スタート。その後も思うような結果が残せず1軍に合流できずにいたが、8月25日、国指定の難病である黄色靱帯骨化症の手術を受けたことを発表。来季以降の実践復帰に向けてリハビリに励むこととなった。


ピッチングスタイル編集

150km/h台半ばの豪速球とフォークを織り交ぜる本格派。

登板時のルーティンとして右腕を高く突き上げるモーションを取る。(メイン画像参照)


関連項目編集

プロ野球選手 投手 富山GRNサンダーバーズ 阪神タイガース

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