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東尾修

ひがしおおさむ

東尾修とは、西武ライオンズで活躍した元プロ野球選手。投手。右投右打。

概要

1950年5月18日和歌山県出身。
長女はプロゴルファー東尾理子、娘婿は俳優石田純一

和歌山の箕島高校から1968年のドラフト1位で西鉄ライオンズに1位入団。
入団当初は先輩投手らの気迫に押され、野手転向も考えた。が、入団翌年に勃発した黒い霧事件による稲尾和久専任監督就任と池永らその他の主力投手が全て永久追放された事で、事件に関わらなかった数少ない選手であった東尾選手は西鉄ライオンズにとって貴重な戦力となった。当時の投手コーチから多彩な変化球を教わると、めきめきとその頭角をあらわすようになり、1975年には最多勝のタイトルを獲得。
その後、太平洋クラブクラウン西武とチームのオーナー企業が変わる中、その全てに在籍した選手の一人である(もう一人は大田卓司)。

1988年に引退後は1995年から2001年まで西武の監督を務め、2013年にはWBCの投手総合コーチも務めた。

人物

打者の体ギリギリに球が迫る投球スタイルから「ケンカ投法」の異名があった。この投法は死球が非常に多かったが、東尾自身は打者に詫びることなく、マウンドでふてぶてしい態度をとっていたことからこの名前がついたとも言われている(本人曰く「(プロの実力なら)避けられん方がアカン」だそうだが……)。
もっとも、その投球スタイルは非常にクレバーで、死球の多さも内角を効果的に使っていた事が理由である。

大の酒好きで、登板日前日にチームメイトと酒を飲み、翌日の登板の際、二日酔いのままマウンドに立ったことがある。

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