概要
熊本県立熊本工業高校定時制に在学中に外野手から捕手へコンバートされた。コンバートの理由は、同学年の藤村寿成(九州学院)の足を封じるためであった。この藤村寿成の次男・藤村大介(現読売ジャイアンツ)は熊本工の後輩にあたる。
1980年全国高等学校野球選手権熊本大会決勝、のちに西武時代のチームメイトとなる秋山幸二をエースに擁した八代高校を破り、第62回全国高等学校野球選手権大会に出場。定時制の生徒だったため、同年のドラフト会議には指名されず、練習生として西武ライオンズに参加、なお、旧敵・秋山は外野手として同年ドラフト外で西武ライオンズに入団している。(高校も埼玉県立所沢高等学校(定時制)に転校。)
1981年秋のドラフト会議で西武ライオンズに1位指名され正式に入団、同期入団のドラフト6位・工藤公康投手や後年入団する渡辺久信投手、辻発彦内野手、デストラーデ内野手らとともにプレーし、正捕手として西武黄金時代の中心を担った。2002年には選手兼任総合コーチとなる。
2003年に現役を引退、翌2004年に西武の監督に就任、新人監督ながら日本一となる。2007年の退任後は2009年第2回WBC日本代表総合コーチを務める。2012年には韓國プロ野球・斗山ベアーズヘッドコーチを務め、2013年より千葉ロッテマリーンズ監督に就任するも、2017年は現役・監督時代を通じて初めての最下位の屈辱を味わい、引責辞任。
2019年からは、監督に就任した与田剛の要請で、中日ドラゴンズのヘッドコーチを担当するも打線が上向かず、2021年シーズン終了をもって、与田の任期満了に伴う退任を受けてそのまま辞任した。
現役時代の応援歌
ホームベースは男の砦 矢よりも速い送球で的を刺す
闘志だ伊東 ホームラン