概要
1980年ドラフト外で熊本県立八代高校から西武ライオンズに入団。プロ入りと同時に外野手に転向した。高校時代は速球派の投手として鳴らし、同年夏の高校野球熊本大会において後に西武でチームメイトとなる伊東勤捕手擁する熊本工業高校と対戦、惜しくも甲子園出場を逃した。
1981年のドラフト会議で西武ライオンズ・球団職員となっていた伊東勤捕手が1位で、6位で名古屋電機高校の工藤公康投手が入団、以後、渡辺久信投手、辻発彦内野手ら好選手がドラフトで入団、西武ライオンズ黄金時代を築き上げていく。
1985年のドラフト会議でPL学園の清原和博内野手が入団、秋山・清原によるAK砲はチームの看板となり、パ・リーグ各球団を震え上がらせた。
1986年の日本シリーズ第8戦ではバック宙してホームインするなど運動能力が高かった。
1993年、佐々木誠外野手、村田勝喜投手、橋本武広投手との交換トレードで内山智之投手、渡辺智男投手とともに福岡ダイエーホークスに移籍、「世紀のトレード」と騒がれた。
2002年に現役を引退。
2005年にソフトバンク二軍監督、2007年に一軍総合コーチに昇格し、勇退した王貞治氏に代わって2009年から2014年まで監督を務めた。
プレースタイル
強肩強打の外野手として鳴らし、西武時代はホームランバッターとして知られたが、福岡ダイエーに移籍後は中距離打者として活躍、弱小チームだったチームを引っ張り、パ・リーグ屈指の強豪チームへと変貌させた。