プロフィール
出身 | 熊本県八代市 |
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学歴 | 八代第一高校(現・秀岳館高校) |
球歴 | 新日鉄君津(現・日本製鉄かずさマジック)⇒福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス) |
生年月日 | 1973年12月26日 |
身長・体重 | 183cm、97kg |
投球・打撃 | 左投左打※ |
守備位置 | 左翼手、一塁手 |
プロ入り | 1996年ドラフト2位 |
※高校時代に肩を痛めてから社会人の時に手術で治すまでは右投げだった。
経歴
守備位置は主に左翼手。以前は一塁手も守っていた。
1996年のドラフト会議において、福岡ダイエーホークスに2位指名され入団、ちなみに1位は現在千葉ロッテマリーンズ監督の青山学院大学・井口資仁内野手、3位に九州共立大学・柴原洋外野手と、上位指名選手が全員チームの主力になる特筆すべき大成功ドラフトであった。
2001年には井口、城島健司、小久保裕紀と共にパ・リーグ初の本塁打30本カルテットを形成。2004年に三冠王、2005年に本塁打王・打点王、2006年に首位打者と主要打撃タイトルをそれぞれ2度ずつ獲得している強打者であり、常勝ホークスを象徴する一人となった。打撃三冠王を達成したのは平成時代では彼だけである。
2012年頃から成績が低迷し、出場機会が減少。2015年オフに長年在籍したホークスを退団した。翌2016年に現役引退を発表。
現役引退後は野球指導者への転身を視野に野球解説者を務めていたが、西田真二の後任として2020年シーズンより独立リーグ・四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズGM兼監督としてチームを率いることになった。
古巣のソフトバンクとの関係は冷えており、指導者としては古巣に復帰できていない。これは、現役時代の素行・態度もあるが、取り分けアルコールハラスメントで当時の若手選手を救急搬送される事態に追い込んだ騒動が大きい。
しかし2024年、中日ドラゴンズで井上一樹監督が就任、松中を打撃コーチに招聘。
本拠地・バンテリンドーム名古屋の広いグラウンドで長い間貧打に悩むドラゴンズのテコ入れが期待されている。
人物
現役時代は内角球を捌く技術が非常に優れており、通常詰まるかファールになる球でも捌き切って、芸術的なアーチを放っていた。選球眼にも優れている。
髪の毛は短く刈り込まれている。それ以上のことはお察しください。