概要
1932年〈昭和7年〉2月9日生まれ。広島県呉市出身。愛称は「ヒロ(さん)」。
現役時代は読売ジャイアンツ(1954 - 1966)で活躍。1954年5月には正遊撃手だった平井三郎からレギュラーを奪って規定打席にも到達するなど、打率.314(リーグ6位)、15本塁打、67打点を記録して新人王を獲得し、ベストナインにも選ばれた。
1955年はチーム事情もあって主に三塁手として起用されるが翌年には遊撃手に戻り、これ以降、セントラル・リーグにおいては吉田義男(大阪タイガース)と共にリーグを代表する遊撃手と称され、守備の堅実・華麗さを吉田と競い合った。
監督時代
監督としてヤクルトスワローズ(1974 - 1979)、西武ライオンズ(1982 - 1985)をそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた。千葉ロッテマリーンズゼネラルマネージャーを経て現在は野球評論家として活動しているが、過去や自らの実績を礼賛をする一方で坂本勇人など気に入らない人物を徹底してこき下ろす論評は多くの野球ファンからヘイトを買っている。
監督としての広岡は、徹底した「管理野球」で有名である。選手の役割分担を決め、それぞれの役割を完璧に果たすように教育し鍛え上げる。綿密にスケジュールを組んで選手を管理したほか、夜遊びや度を越した飲酒を禁止し、食事のメニューまで規制を加えた。
こうした現代では食事から徹底管理する考え方は先進的な一面があった一方で自らは不摂生な生活に終始し、監督就任をしていた際には痛風になって江夏豊から指摘されたという。
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廣岡達朗(旧字体による表記揺れ)