概要
1958年5月30日生まれ。千葉県出身。主なポジションはショート。右投右打。
元々は守備力を買われて中日ドラゴンズに入団したはずが、1981年にやらかした「ヘディング事件」(この時に投げていた投手が後述の星野仙一)で一躍スター選手の仲間入りを果たす。守備自体は下手ではないが、原辰徳の東海大入学の誘いを「あんな人気者と一緒になったら活躍してもちっとも目立たなくなるからおもしろくない」と言い、誘いを断るくらいの目立ちたがりな性格が災いして妙なエラーを連発する人でもある。元祖珍プレーなどと言われたりする始末である。
時折とんでもないファインプレーを出すこともあり、何かと絵になる選手であった。
上記のとおり、守備自体は名手の域に入るものの、ショートという守備位置の都合上、球際のプレーが多い為にエラーが多い。そのため、星野仙一などは「取ったら安心していい」と評している。とはいえ、やっぱりエラーが多かったのは事実で、リーグ最多失策を7回記録してしまっている。
また、サードやセカンドも守れるものの、そうすると打撃が不調になってしまうという一面もあった。
「記録よりも記憶に残る名(迷?)プレイヤー」のように言われがちだが、通算338本塁打を放ち、遊撃手として史上唯一のホームラン王に輝き、また遊撃手としての最多本塁打記録も有するなど、強打者としての実力は本物だったことも忘れてはならない。
1992年のシーズンオフにトレードで千葉ロッテマリーンズに移籍し、1994年に現役を引退。
引退後は中日で2度打撃コーチを務めた(2004~2008、2012~2013)。
宇野がやらかした事件の数々
- 高校時代、県大会の際ユニフォームと間違え、同じ色のパジャマを持ってきてしまった。
- ユニフォームを忘れてコーチからユニフォームを借りる。
- 大洋ホエールズ戦で右翼手がエラーし、これ見よがしに走ったら一塁走者の大島康徳を追い越してしまい、アウトになる(後日、その大島も同じプレーをやらかしている)。
- 「ヘディング事件」の後、信号停止の際に星野仙一の車に追突事故を起こす。
- 開幕前のインタビューで、今年の目標を「3割、30本、3盗塁」と答える。そして、オフにトレードに出される。
- 少年野球教室で日本で最初に打球をヘディングした男であることを自慢気にアピール(ちなみに宇野の4か月前に「ミスター赤ヘル」こと広島東洋カープの山本浩二も打球をヘディングするエラーを起こしている)。
- 達川がボール判定に抗議した際、達川の「今のストライクだよな?」に「ストライクでしたね」と返す。
etc.
関連ヘディング動画
関連タグ
風雲!たけし城…『君も宇野君』という、野球のボールをキャッチするゲームがある。
大島康徳…こちらも守備に難ありだが、星野曰く「宇野と違い、ヤスは審判がアウトを宣告するまで安心出来なかった」と評されている