概要
フルネーム | Samuel Kelvin Peralta Sosa (サミュエル・ケルヴィン・ペラルタ・ソーサ) | |
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国籍 | ドミニカ共和国 | |
出身 | サン・ペドロ・デ・マコリス州サン・ペドロ・デ・マコリス | |
生年月日 | 1968年[11月12日]] | |
身長・体重 | 183cm、102kg | |
投球・打撃 | 右投・右打 | |
守備位置 | 外野手(右翼手)、指名打者 | |
プロ入り | 1985年ドラフト外 | |
メジャーデビュー | 1989年6月16日 |
所属チーム
- テキサス・レンジャーズ (1989)
- シカゴ・ホワイトソックス (1989-1991)
- シカゴ・カブス (1992-2004)
- ボルティモア・オリオールズ (2005)
- テキサス・レンジャーズ (2007)
経歴
7歳で父親と死別しており、幼少期から貧しい家計を助けるために靴磨きなどをしていた。
そうした経済事情から野球の道具を揃えられないため、木の枝をバット、紙製の牛乳パックをグローブとして使っていたという。
1985年7月30日、テキサス・レンジャーズと契約し、1989年にメジャー初出場を果たす。同年7月29日にシカゴ・ホワイトソックスへ移籍した。
1998年6月にはMLB記録を更新する月間20本塁打を達成し、マーク・マグワイアとのホームラン王争いを繰り広げたが、最終的にマグワイアから4本差の2位(66本)に終わった。
1999年もシーズン63本塁打を記録したが、この年もマグワイアに2本差で敗れた。
2000年は50本塁打で自身初のリーグ最多本塁打のタイトルを獲得。
2001年は64本塁打を記録するも、バリー・ボンズが73本塁打のMLB新記録を樹立したため、タイトルを獲れず。
2002年は49本に終わったが、自身2度目のホームラン王に輝く。
2003年4月にMLB通算500本塁打に到達するも、6月にコルクバットの使用が露見して7試合の出場停止処分を受けた。
2005年はボルティモア・オリオールズへ移籍したが、シーズン14本塁打に終わり、2006年はワシントン・ナショナルズからの契約打診を蹴り、所属チームが無いまま1年を過ごした。
2007年、古巣のレンジャーズと契約。6月20日にメジャー通算600号となるホームランを放った(最終的に609本まで到達)。次年も現役を続ける意思を示していたが、薬物使用問題がMLBで大きくなる中でソーサも疑惑を持たれたことから契約の意思を示す球団は無く、実質的な引退に追い込まれた。
余談
本塁打王を2度獲得しているが、年間60本塁打以上を記録した3度は何れもマーク・マグワイアやバリー・ボンズによって本塁打王の座を阻まれている。
禁止薬物の使用については否認しているが、2003年に行なわれたドーピング検査で陽性反応が出たことが2009年に報じられている。
黒人であるのだが、2017年頃からまるでマイケル・ジャクソンのように顔が白くなったと話題になった。これはGoogleなどで「Sammy Sosa white face」と言った語句で画像検索することで確認できる。