岩隈久志
いわくまひさし
1999年のドラフト会議にて堀越高校から大阪近鉄バファローズにドラフト5位で入団。2001年のリーグ優勝にも貢献し、日本シリーズでも先発登板している。2003年から2004年にかけて連続15勝し、「バファローズ最後のエース」ともなった。
大阪近鉄が球団合併で消滅し、当初はオリックス・バファローズに入団する予定だったがそれを拒否し、東北楽天ゴールデンイーグルスに(金銭トレードで譲渡される形で)移籍した。
2005年からはケガなどで不調に陥るが、2008年に復活。21勝を挙げ(20勝したのはパ・リーグでは2003年の斉藤和巳以来)最多勝を挙げたのをはじめ、最多勝や最優秀防御率、リーグMVP(この年楽天は5位)や沢村賞など先発投手部門のタイトル総なめ状態であった。2009年WBCでも先発として活躍している。
「楽天のエースは岩隈か田中将大か?」と議論が分かれるところがあったが、「エース」の証明である開幕投手の座は、岩隈が球団創立以来守っていた(2006年も開幕投手と決まっていたがケガで直前に回避している)。
2010年オフに、大リーグ移籍を目指したポスティングシステムを行使。一度は落札が決まるが交渉がうまくいかず、決裂。2011年も楽天でプレーすることが決まった。
2011年オフにFA宣言で大リーグ・シアトル・マリナーズと契約。
2015年8月12日、オリオールズ戦に先発出場し、3四球7奪三振でノーヒットノーランを達成。日本人選手としては、2001年の野茂英雄(ボストン・レッドソックス)以来2人目、2015年のメジャーリーグ・レギュラーシーズンでは4人目の快挙となった。
2018年シーズン終了後マリナーズを退団。
読売ジャイアンツとの契約に合意し、日本球界へ復帰が決定。しかし、肩や上半身のコンディション不良が長らく続いたため、一度も一軍に昇格できず、二軍での登板機会もわずか数試合に留まった。その後もコンディション不良から克服できる望みがなかったことを理由に、2020年シーズン限りでの引退となった。岩隈の引退に伴い、楽天に移籍した近鉄選手、並びに球団設立時の楽天選手は一人もいなくなった。
150km/hの速球はないが、コントロールでコンスタントに勝ち星を挙げる(2005年〜2007年は岩隈の怪我、2段フォーム禁止による矯正、設立当初の楽天であったことを考えると仕方ない)。
近藤一樹(2002年入団)・坂口智隆(2003年入団)と共に、令和時代になってからも現役で活動していた大阪近鉄バファローズOBであったが、3名のうち唯一2001年のリーグ優勝を経験した選手であった。このため岩隈が一番最後に引退した近鉄V戦士となった。
- プロ野球・プロ野球選手
- 日本人メジャーリーガー一覧
- 引退したプロ野球選手一覧
- 投手
- 安達祐実・・・高校の同級生。(堀越高校)