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江夏豊

えなつゆたか

江夏豊とは、阪神タイガース、広島東洋カープなどで活躍した元プロ野球選手。投手。左投左打。
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概要

1948年5月15日兵庫県尼崎市生まれ。
大阪学院大学高等学校から1966年、この年の第1次ドラフト会議において、阪神タイガース読売ジャイアンツ東映フライヤーズ阪急ブレーブスの4球団から1位指名を受けての競合抽選の結果、指名権を獲得した阪神へ入団。
これまでのエースだった村山実のあとを継ぎ、阪神のエースピッチャーとして活躍。
1973年8月30日中日ドラゴンズ戦では、史上59人目となるノーヒットノーランを達成。この試合で江夏は松本幸行と延長戦まで投げ合い、11回裏に松本からの初球をライト側ラッキーゾーンに運び「自らサヨナラホームランを放つ」という劇的な形で、日本プロ野球史上初の延長戦ノーヒットノーランを達成した。2016年現在、日本プロ野球で延長戦ノーヒットノーランを達成しているのは江夏だけである。

その後、南海ホークス広島東洋カープ日本ハムファイターズ西武ライオンズと球団を転々とし、1984年に36歳で現役を引退すると共に引退式でメジャーリーグ挑戦を表明した。
翌年、渡米してミルウォーキー・ブルワーズの春季キャンプに参加し、順調に結果を出して最終選考まで残るが、最後の最後で調子を落としてしまい、開幕メジャーはならず、完全に現役を退いた。

1968年に記録したシーズン401奪三振は未だ破られていないNPB記録であり、認定こそされてはいないがノーラン・ライアンの383をも上回る世界記録である。

オールスターゲーム9連続奪三振

江夏豊を語る上で欠かせない伝説の一つ。
1971年7月17日に西宮球場で行われたオールスターゲーム第1戦に先発した江夏は、3イニングで対戦した全パの打者9人全てを三振に打ち取った(オールスターゲームでは1人の投手が投げられるのは3回まで)。2016年現在、オールスター戦で1試合9連続奪三振を記録した投手は江夏だけである。
更に、この試合で江夏はホームランを打っているほか、全セは江夏の後を受けた四人の投手の継投でノーヒットノーランを達成している。この試合以降、オールスター戦で投手による本塁打は記録されていない。

また、江夏は昨年のオールスター戦で5連続奪三振、翌日の試合で1奪三振を記録しており、この3試合で記録した15連続奪三振はオールスター記録である。ちなみに、江夏の連続奪三振記録に終止符を打ったのは、後に南海でチームメイトとなる野村克也である。

江夏の21球

オールスター9連続奪三振と並んで江夏豊を語る上で忘れてはならないのが、この「江夏の21球」である。
スポーツノンフィクション作家であった山際淳司1980年文藝春秋から発行された「Sports Graphic Number」創刊号に掲載したプロ野球ノンフィクション作品の題名であるが、この作品が広く知名度を獲得したことにより、現在では題材となった試合の場面そのものを指して「江夏の21球」と呼ばれることも多い。

1979年11月4日大阪球場で行われたプロ野球日本シリーズ第7戦、近鉄バファローズ広島東洋カープの9回裏の攻防である。

両チーム3勝3敗で迎えた第7戦は、小雨が降る中で試合が進み、7回表を終了した時点で4対3と広島がリードしていた。広島・古葉竹識監督は万全を期すため、絶対的なリリーフエース、江夏を7回裏からマウンドへ送っていた。迎えた9回裏、近鉄の攻撃。この回を抑えれば広島は優勝、球団史上初の日本一となる。ところが、同じく初の日本一を目指す近鉄もただでは終わらなかった。先頭の6番打者・羽田耕一が初球に安打を放って出塁し、にわかに場面は緊迫。
だが、江夏は、7番打者アーノルド、8番打者平野光泰、9番打者代打佐々木恭介、1番打者石渡茂の4人の近鉄打線をたった21球でねじ伏せ、広島をリーグ優勝へと導いた。

これが俗に言う「江夏の21球」である。

人物

江夏はファンの間でも今なお『20世紀最高の投手の一人』との呼び声が高く、広島・日ハム時代に大車輪の活躍を見せてチームを優勝に導いたことから『優勝請負人』の異名も取った。Yahoo!JAPANが企画した「20世紀日本プロ野球ベストナイン」の投手部門では、沢村栄治金田正一稲尾和久ら往年の名投手を抑えて1位に選出されている。

子供の頃には、近所の子供達と粗末な道具で野球を楽しんでいた。そんな折に兄から「お前は左でやれ」と左利き用のグラブを買い与えられ、右利きであったにもかかわらず強制的に左利きへと矯正された。

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