概要
福岡県出身。福岡工業大附、九州国際大を経て2002年ドラフト8位でオリックス・ブルーウェーブに指名され入団。主な同期入団選手は加藤大輔。
ちなみにブルーウェーブの「契約金ゼロ選手(簡単に言えば、現在でいう育成選手のようなブルーウェーブ独自の制度)」の最後の生き残り選手だった。
ブルーウェーブ時代の2年間は一軍出場6試合にとどまっている。分配ドラフトで2005年から東北楽天ゴールデンイーグルスでプレーするが、2006年まで一軍出場はなかった。
2007年に3年ぶりの一軍登録。この年は8試合に出場している。
本格的なブレークは2008年。相手先発が左投手の時は必ずスタメンに名を連ねるほどの左投手キラーとして打率.315、5本塁打25打点を記録。翌2009年はケガに悩まされるものの47試合に出場。
2010年は牧田明久の台頭を許し出場機会が激減。それでも2011年に2本塁打を放ち復活をアピールすると、2012年は前年を上回る58試合に出場。打率を.194から.250に押し上げた。5月30日の読売ジャイアンツ戦では杉内俊哉の完全試合を阻止するフォアボールを選んでいる。
2014年をもって現役を引退。同球団のジュニアコーチに就任した。
あだ名はシャーパー。地元の高校で使われていた掛け声だったらしい。