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概要・人物編集

福岡県出身。鹿児島実業高、三菱重工長崎を経て2001年ドラフト3位で福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団。

同期には寺原隼人(現オリックス・バファローズ)、神内靖(現横浜DeNAベイスターズ)ら。

また松坂世代のひとりで、高校時代は松坂大輔をはじめ木佐貫洋村田修一や現日本テレビアナウンサー上重聡らと対戦、また日本代表として戦ったこともあった。


ルーキーイヤーとなる2002年は2勝をマーク。2003年に10勝を挙げて新垣渚斉藤和巳和田毅らとともにチームのリーグ優勝、そして日本一に貢献。

しかし翌2004年6月1日千葉ロッテマリーンズ戦でKOされた際にベンチを殴りつけて両手を骨折。長期離脱を余儀なくされ2勝どまりだった(なおこの時、チームメイトの城島健司利き手はやめろ、ブルガリア!と叫んだらしいが真偽は不明である)。

その後も2005年(この年は18勝を挙げて沢村賞などのタイトルを受賞)、2007年(12勝)と先発ローテーションとして活躍し、2008年に自身初となる2年連続2ケタ勝利をマーク。

2009年にはWBC日本代表に選出され、中継ぎとして日本代表の二連覇に大きく貢献した。

2010年には16勝を挙げたが、2011年はムエンゴに陥り8勝どまり。オフにFAで読売ジャイアンツへ移籍する。なお、この時の契約更改の様子を2年連続で東京ヤクルトスワローズつば九郎にマネされている。


巨人移籍後の2012年は、ポストシーズンこそ肩痛の影響で登板こそなかったがレギュラーシーズンで12勝を挙げた。また5月30日東北楽天ゴールデンイーグルス戦では打線を中島俊哉のフォアボールのみに抑えるノーヒットノーランを達成。7月27日には広島東洋カープから初白星を挙げ、大阪近鉄を含めた全13球団から勝ち星を挙げた投手となった(ちなみに史上初は工藤公康)。


2013年2014年と移籍後3年続けてふた桁勝利を上げるも、2015年には股関節痛もあり6勝どまり。同年10月に右股関節の手術を受けたが、その後は股関節痛に加えて左肩痛にも苦しめられ、1軍公式戦で登板のないまま、2018年9月11日引退を表明した。

プロ入り17年間で通算142勝(77敗)。勝率6割4分8厘は歴代4位。


現役引退後の2019年シーズンからは読売ジャイアンツのファーム(2軍・3軍)投手コーチを担当する。


夫人はフリーアナウンサー・リポーター(福岡ローカル)の上葉えりかであり、彼女の実妹は元同僚の新垣の夫人となっており義兄弟の間柄となる。


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