日拓ホームフライヤーズ
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にったくほーむふらいやーず
「日拓ホームフライヤーズ」は、1973年のみに存在したプロ野球チーム。現在の北海道日本ハムファイターズの前身球団の1つである。
1972年オフに東映フライヤーズを日拓グループが買収し、日拓ホームフライヤーズとなった。なお同年には西鉄ライオンズが太平洋クラブライオンズに変わっている。
当時のパ・リーグは前後期制を敷いており、前期は東映時代から引き続き田宮謙次郎が指揮を執ったが、5位に終わったため辞任。後期はOBの土橋正幸が指揮するも、4位に終わる。
パ・リーグの人気回復を図り、後期には日替わりで7種類のユニフォームを着用させて試合に臨んでいたが、効果は得られなかった。
後期シーズン終盤にロッテオリオンズとの合併を画策し、最終的に1リーグ化させようとしたが失敗。
シーズン終了後、日本ハムへの球団売却が発表され、「日拓ホームフライヤーズ」の歴史はわずか1年で終わることとなった。また、新球団がファイターズと名乗ったため、東急時代から続くフライヤーズの名称もこの年で終了した。
なお、NPBで初めて球団運営のファンクラブを創設したのはこの日拓ホームフライヤーズであり、身売り後も継承されている。
東映フライヤーズ→日拓ホームフライヤーズ→日本ハムファイターズ→北海道日本ハムファイターズ
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