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珊瑚海海戦

さんごかいかいせん

1942年5月7日、8日に珊瑚海で行われた史上初の空母機動部隊同士の海戦
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オーストラリア大陸ニューギニア島ソロモン諸島の間に広がる珊瑚海で行われた史上初の空母機動部隊同士の海戦。

経緯編集

詳細な戦争計画を作らないまま開戦に踏み切ってしまった大日本帝国は、第一段作戦の終結前にそれ以降の作戦計画を完成させなければならなかった。

それにあたって海軍軍令部が示した構想が、いわゆる米豪遮断である。

当時オーストラリアは連合国にとって重要な兵員供給源であると同時に、日本への反撃の拠点となる重要な地点であり、これが連合国から脱落すれば英米の戦争計画を大きく狂わせ、講和に持ち込める見込みがあった(と軍令部は考えていた)。


そこでフィジー、サモアを攻略し(のちにサモア攻略は削除)オーストラリアとアメリカの間の連絡を遮断してオーストラリアを降伏に追い込むFS作戦が考案された。


その前段階としてビスマルク諸島を抑え、更にニューギニア、ソロモン諸島へと手を広げつつあった帝国軍だが、ニューギニア島東部のラエ、サラモアを抑える過程で空母ヨークタウンレキシントンからなる第17任務部隊(TF17)による奇襲を受けて大損害を受けてしまう。

結果として両地の確保には成功したものの、この損害により予定されていたポートモレスビー、ツラギの攻略に大幅な遅れが生じ、空母の再来に怯えることとなった。


このため軍令部は攻略作戦の支援として空母を派遣することを決定、五航戦の空母「翔鶴」・「瑞鶴」を中心とする「機動部隊(高木武雄少将)」と、更に四航戦より「祥鳳」を派遣して攻略を支援することとし、これをMO作戦としてまとめ上げ、実行に移した。


暗号解読によりこの動きを掴んでいた米海軍はTF17を再び進出させ、ここに史上初の空母決戦が発生することとなった。


経過編集

日本海軍は、セイロン沖海戦から帰還中だった五航戦の空母「翔鶴」・「瑞鶴」を中心とする「機動部隊(高木武雄少将)」をソロモン諸島の東側から、陸軍歩兵を移送する「攻略部隊(五藤存知少将)」をラバウル基地から珊瑚海に侵入させた。

●5月2日

翔鶴、瑞鶴の機動部隊は作戦のついでに積み込まれていたラバウル向けの零戦9機を発刊させるが、荒天のために編隊が引き返してきてしまったためこれを回収、1日その場で周回して天候の回復を待つ。

TF17はニューカレドニア島沖で前日より補給作業中だった。


●5月3日

祥鳳及び水上機母艦神川丸の支援下でツラギをはじめとするフロリダ諸島への上陸が開始される。

連合軍は大半が撤収済みであったため占拠は恙なく完了し、夕方までに水上機基地の設営が開始される。

機動部隊はゼロ戦の輸送にまたも失敗(1機喪失)、燃料の補給のためブーゲンビル島へ向かう。

TF17のフレッチャー提督はツラギ襲撃の報を受け、補給が完了していたヨークタウンのみでツラギへ急行する。


●5月4日

ヨークタウンはツラギを3度にわたって全力爆撃する。艦戦2、艦攻1を喪失。

日本側被害は駆逐艦菊月ほか掃海艇などが沈没するも、基地の被害自体は小さく、6日には哨戒を開始している。

祥鳳がヨークタウンを追跡するが、空振りに終わる。

補給を機動部隊はこの期に及んでまだ零戦の輸送に固執しており、反転してラバウルへ戻ろうとしたが、ツラギ空襲の報を受けて再度反転してヨークタウンを追跡するも、当然こちらも空振り。


●5月5日

祥鳳がポートモレスビー攻略部隊の護衛につきながらショートランド島に向かう。

機動部隊はソロモン諸島東側を回って珊瑚海に進入、ガダルカナル島沖に到着する。

TF17は合流し残る補給作業を再開した。


●5月6日

祥鳳が早朝より補給を開始し8時30分に完了。

ツラギを離陸した97式飛行艇がTF17を発見。

ニュージョージア島沖で補給を受けていた機動部隊は報告を受けて急速に南下するが、索敵を全く行わなかったため200km未満の距離まで接近していながら捕捉に失敗、反転しニュージョージア島沖に戻る。

TF17はポートモレスビー方面(東南東)を集中して索敵していたため北から急接近する機動部隊には気づかなかった。


●5月7日

両軍とも索敵に不手際があり、日本側は米軍のタンカーネオショー」を空母と間違えて攻撃、アメリカ側は「攻略部隊」の護衛についた小型空母祥鳳を「翔鶴型航空母艦」と間違えて攻撃し、撃沈した。

マレー沖海戦で戦果を挙げた元山航空隊陸攻が第17任務部隊を空襲し「カリフォルニア戦艦1隻、重巡洋艦1隻撃沈、ウォースパイト型戦艦大破」を報告したが、実際は全弾回避された。

日本側は第17任務部隊に薄暮攻撃を行ったが戦果はなく、帰還したのは27機中6機だけだった。

「攻略部隊」は進撃を諦め北へ退避した。


●5月8日

両軍ともほぼ同時に敵空母を発見。出撃した両軍の攻撃部隊は途中ですれ違ったが、互いに無視し、敵空母攻撃に向かった。

瑞鶴がスコールに隠れたため、ヨークタウン隊、45分遅れてレキシントン隊の攻撃が翔鶴に集中し、それぞれ「撃沈」を報告したが、翔鶴は中破したものの北へ離脱した。

翔鶴隊・瑞鶴隊の攻撃でレキシントンとヨークタウンは中破し離脱したが、レキシントンは漏れ出たガソリン蒸気に引火・炎上し、駆逐艦フェルプスにより雷撃処分された。

無傷だった瑞鶴も航空隊の損耗が激しく、敵空母2隻を撃沈したと錯覚した(「サラトガ撃沈、エンタープライズ撃沈確実」の戦果報告)ため、追撃を諦め北へ離脱した。


その後日本側に残存艦艇がシドニー港に入港したという情報が入ったため、5月31日、特殊潜航艇甲標的による奇襲攻撃が行われた。


結果と影響編集

日本海軍はポートモレスビー攻略に失敗、海戦に敗北し、米豪遮断は初っ端から暗礁に乗り上げることとなる。

またミッドウェー海戦に参加が予定されていた祥鳳を喪失、翔鶴の中破に加え、瑞鶴も飛行隊の大損害により戦闘不能となり、ミッドウェーへの出撃戦力が大幅に減少することとなる。


一方米側も作戦目標を達成したとはいえ、貴重な戦力であった空母と、こちらも不足していた油槽艦を喪失、ヨークタウンも被害を受け、飛行隊の損害も小さくなかった。

喪失隻数だけを見れば米側のほうが大きな被害を受けており、この点を見て「日本海軍の戦術的勝利」という評価もされる(但し人的被害は日本側のほうが大きい)。

しかしながらヨークタウンは発着艦能力に関して言えば損傷は軽微であり、応急修理で戦線復帰が可能であると見られていた(3基のボイラーはじめ面倒な箇所の修理は放棄された)。

ちょうど真珠湾ではサラトガの飛行隊が暇を持て余していたことに加え、収納効率の高いF4F-4の導入により一隻あたりの搭載機数も増加、損失の補填に成功し、基地航空隊とも合わせミッドウェー海戦において数的優位を確立する。



関連タグ編集

太平洋戦争 祥鳳 翔鶴 瑞鶴 レキシントン ヨークタウン

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