『艦隊これくしょん』に登場する、この艦由来のキャラクターが多過ぎて船のイラストはなかなかみつからないので、検索の際は、「赤城(空母)」に「これ」を含まないようにして部分一致検索するとよい。
概要
艦名は、群馬県の赤城山にちなむ。
八八艦隊の巡洋戦艦「天城」の姉妹艦(二番艦)として計画されたが、ワシントン海軍軍縮条約により、空母に改造して建造されることになった。
戦艦長門以上の巨体で巡洋戦艦ゆずりの高速を備え、当初は三段空母の異形だったが、大改造により通常の一段式となり、日本海軍随一の有力な空母となった。しかし予算が不足し、同様の改造を行った加賀に対し、対空砲(高角砲)を旧式のものに留まるなど不満足な点が見られる。また、艦橋を左舷中央に設けてしまったのも、失敗と言われる。
太平洋戦争では南雲機動部隊の旗艦としてハワイ海戦・インド洋作戦などで活躍、ミッドウェー海戦で奇襲を受け撃沈された。
81年ぶりに姿を現した赤城
沈没した赤城はミッドウェー海域の深度5100mの海底に沈んでおり、2019年にソナーによる調査で加賀と共に発見。位置が確認された。その後、2023年に潜水艇による撮影が行われ、実に81年ぶりにその姿を見せることになった。
参考
余談
知名度の高さやエピソードの多さから、多くの映像作品に姿を見ることができる。最近では映画『永遠の0』に登場し、主人公の祖父はミッドウェー海戦まで搭乗員であったという設定。
なおドラマ版は過去の映像を使用している。
現役時代の知名度・人気ぶりは「長門と赤城は御国の誇りです」と、連合艦隊旗艦戦艦長門と共に大日本帝国海軍の大看板とされたほどで、特に子供たちからは両艦揃って抜群の人気を誇っていた。
大人気のブラウザーゲームの『艦隊これくしょん』では擬人化して登場している。
アニメ『ストライクウィッチーズ』では主要艦艇として登場する。
なぜ左舷側艦橋は失敗だったのか
フライトシューティング系ゲームなどでは母艦の遥か後方から一直線に着艦する設定になっている場合も多いため、一見「艦橋が右でも左でも変わらないのでは?」と疑問に思われるかもしれないが、当時の海軍航空隊を例にとると、通常艦上機は母艦の左舷側で左旋回をしてから着艦する、という手順が定められていた。
つまり着艦の際は母艦の左側後方から左旋回しながら着艦コースに進入していく形となるため、搭乗員から見ると左舷側の艦橋はあたかも進入コース前方に立ちはだかる巨大な壁のような形となるのである。
実際に着艦コースを塞いでいるわけではないとはいえ、危険な空母着艦で操縦に神経をすり減らす搭乗員に与える心理的圧迫感は想像以上に大きく、着艦の難易度を上げてしまうのである。
唯一左舷側に艦橋を持つ赤城と飛龍は、加賀や蒼龍のような艦の前部ではなく、より後方の艦中央部に艦橋を置いてしまったことにより、一層着艦機に対する圧迫感を増すこととなった。
また当時のほとんどの航空機は搭乗員から(=後方から)見て右回りのプロペラ回転となっており、詳細は割愛するが通常の直線飛行の場合、ごく僅かだが左にスライドする現象があった。
この現象により着艦コースに進入した後も機体は徐々に左に寄ろうとすることとなり、その先に立ち塞がる左側の巨大な壁である艦橋はやはり搭乗員に恐怖を与えるものだったのである。
何らかの原因で着艦を中止しやり直す際も基本は左旋回となるため、実際に艦橋が邪魔になってしまう場面もあった。
ちなみになぜ艦橋を左舷側に置こうとしたかというと、空母のもう一つの上部重量物である煙突との兼ね合いである。
海に浮かぶ艦艇というプラットホームである以上、重心はできれば左右均等であることが望ましく、バラスト等の無駄な重量物で調整せずに左右を均等にしようとすると、艦橋と煙突は左右別々に配置することが(少なくとも艦艇側だけの都合で見れば)理想的な配置であった。
では右に艦橋、左に煙突なら良かったのかというとそうではなく、煙突から出る排煙が気流を乱して着艦機に大きな悪影響を及ぼすことが改装前の加賀(煙突を艦の後方に置いた)でわかっていたため、煙突を右、艦橋を左が理想的と考えられたのである。
結局赤城と飛龍の運用によりこの配置も問題があることが判明したため、左舷側艦橋で設計されていた翔鶴型は右舷側環境に急遽設計変更され、以後の空母は艦橋も煙突も右舷側にまとめて置くことが標準となった。
重心については飛行甲板を左舷側にオーバーハングするなど、船自体の水につからない部分を左右非対称にすることで左右の重量バランスを取るという形になっていった。