概要
製作は東宝。1944年12月7日に封切られた。
海軍省後援・全面協力のもと零式艦上戦闘機や一式陸上攻撃機などの実機、さらには航空母艦「瑞鶴」や艦上攻撃機「天山」まで登場することから記録映像としても価値が高い一作。
しかし冒頭からして「敵に決定的打撃を与うるに至らず」と制作当時の逼迫した戦況を反映した語り口で進められ、主要人物が「敵の捕虜からあらゆる兵器の質も量も勝っており、士気もはるかに高いため負けるはずがないと聞いた(要約)」、「こっちはバリバリの優秀な操縦者が乗る飛行機がなくて焚き木を採っている。こんなバカなことがあるか…」と吐露する、それを聞いた相手も「1人死んで敵を10人殺すしか勝つ道はない」といった主旨の言葉を口走る、航空機の不足や敵襲の前になすすべもないという厭戦的なムードが描かれていく。
終盤の航空戦のモデルは台湾沖航空戦ではないかとも言われるが、撮影は台湾沖航空戦以前の1944年9月であり偶然の一致と思われる。
キャスト
- 航空隊司令・佐藤大佐:大河内傳次郎
- 基地航空隊副長:瀬川荘司
- 三上少佐:藤田進
- 村上少佐:河野秋武
- 川上少佐:森雅之
- 吉村大尉:灰田勝彦
- 安田大尉:月田一郎
- 戸田主計大尉:長岡正雄
- 赤松飛行曹長:岬洋二
- 阿久根整曹長:小森敏
- 新田一飛曹:長橋博
- 定食屋「やまと軒」の女将さん:東山千栄子
- 阿久根の母:藤間房子
スタッフ
あらすじ
「サンカミ」の異名を持つ三上、川上、村上の3人は雷撃の神様とも呼ばれる凄腕の3人組。艦攻隊を率いる村上は航空参謀となった川上と共に、次なる作戦に備えて三上が率いる陸攻隊が着任している内南洋の基地に移動する。
再会を喜ぶ3人だが基地は連日のように敵の空襲を受け、迎撃に出る航空機も不足していた。
川上は航空機の補充を要請すべく東京へ発ち、村上は夜間攻撃訓練、三上は部下を率いて索敵に臨む。
しかし帰って来た川上からは吉報は得られなかった。代わりに他兵部から慰問映画が持ち込まれた。整備士の阿久根は慰問映画に映る母の盆踊りに感激するが、そこに敵機来襲の呼子が。阿久根は炎上する戦闘機を引き離そうとして負傷してしまう。
それから数日後、念願の補充の機体が基地に到着する。
敵の大型爆撃機約100機が護衛の戦闘機を伴って来襲したが、補充の戦闘機を得た航空隊がこれを撃退。
いよいよ比島方面に向かう敵機動部隊を発見し総攻撃が開始される。
死を覚悟した村上は川上に愛用の煙草入れを託して航空母艦に帰っていく。
そして基地からも三上が飛び立つ。猛烈な対空砲火を受けた三上の機はエンジンに被弾し、ついに三上も死を覚悟する。
主題歌
主題歌は「雷撃隊出動の歌」。他にも「雷撃隊の歌」と「男散るなら」が挿入歌として使用されている。
レコードは1944年の11月から12月にかけてニッチクレコード(日本コロムビアの戦時中のレーベル名)から発売された。
- A面「雷撃隊の歌」
作詞・作曲:海軍雷撃隊
歌唱:霧島昇、日蓄合唱団
- B面「行進曲 雷撃隊の歌」
演奏:海軍軍楽隊
発売:12月8日
「雷撃隊の歌」は海兵第69期卒業生のうち航空要員に決定した者が機種ごとに作成した楽曲のひとつで、「戦闘機隊の歌」「艦爆隊の歌」「偵察隊の歌」も存在する。
しかし映画に使われることが決まった時、作詞者は南方ですでに戦死していたとされる。
- A面「雷撃隊出動の歌」
作詞:米山忠雄
作曲:古関裕而
歌唱:霧島昇、波平暁男
- B面「男散るなら」
作詞:米山忠雄
作曲:鈴木静一
歌唱:霧島昇、近江俊郎、日蓄合唱団
発売:11月20日
「雷撃隊出動の歌」は戦後に歌詞を改め「穂高よさらば」として登山家たちの間で定番ソングとなった。
登場兵器
航空機
映像は『加藤隼戦闘隊』の流用。
全て模型を使用。
全て模型を使用。
艦船
対空戦闘の場面で登場。那智または足柄ではないかといわれている。
遠景でわずかに映り込んでいる。
艦内で撮影されたとされる。
発艦シーンで登場。航行する瑞鶴の遥か後方でぼんやりと艦影が映っている。
全て模型を使用。終盤の航空戦で登場する。
魚雷の直撃により木っ端微塵となり轟沈する。
- ヨークタウン級空母
全て模型を使用。
- ポートランド級重巡洋艦
全て模型を使用。最期を悟った三上機が突入し艦尾から沈んでいく。
余談
制作が決定したのは1944年2月と戦況が悪化の一途をたどっていた時期である。
雷撃隊の精神と行動を描いた映画として東宝が企画し、これが大本営海軍報道部の目に留まり製作に至った。
『ハワイ・マレー沖海戦』、『加藤隼戦闘隊』に続く東宝戦時戦争映画三部作の3作目として制作され、2作に続いて監督となった山本嘉次郎は記録映画的な一面の強い『ハワイ・マレー沖海戦』、伝記映画的な一面の強い『加藤隼戦闘隊』に続いて今度は芸術的な創作性の強い作品に臨んだ。
山本監督は雷撃戦術の権威である愛甲文雄中佐や雷撃隊指揮官の長井疆大尉らに取材しつつ、実際の雷撃隊の訓練も実地見学した。
雷撃隊の捨て身の精神を理解した山本監督は、当初は犠牲者の少ない方針で書いた脚本を大幅に改訂することを決意した。
その一方で雷撃隊の捨て身の精神を劇中で語るのは雷撃隊の面々ではなく、主計長の戸田大尉である。戸田の言葉を受けた吉村大尉は「雷撃とは体当たりなんだ。要するに死ぬことなんだ」と締めくくる。
ラストシーンは当初山本監督が意図したものと大幅に改変されている。
台本には村上に対し三上が「貴様、死ぬなよ。あんなケダモノのような奴と刺違えるなんてつまらんぞ」と呼びかけ、村上は思いとどまって生還する。
しかし完成作品では三上の呼びかけは「貴様、早まるなよ、え?」でとどまっており、村上も戦死してしまう。
台本と絵コンテは1944年11月に「映画評論」に掲載される形で発行されているが、完成作品に至るまでどのような経緯で変更されたのかは不明である。
戦後東宝で特撮を手掛ける有川貞昌は制作当時雷撃隊の搭乗員を務めており、飛行場で開催された映画会で本作が上映された際に、出撃シーンでは臨場感に包まれ、敵艦を撃沈したシーンで拍手喝采が起きたと語っている。
また本作の特撮映像を実際の航空隊で行った記録映像だと信じ、円谷英二と会った際にどこの部隊で撮影したのかと尋ねたとされる。そこで模型を使った特撮だったと聞いた有川は驚き、飛行機好きだった円谷と意気投合、特撮に関わっていくようになった。