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概要編集

サウスダコタ級はアメリカ海軍の戦艦で、ワシントン条約失効後に建造された35000トン級高速戦艦である。

ネームシップのサウスダコタを始めとして、同型艦のインディアナ・マサチューセッツ・アラバマを含む、計4隻が就役した。


本級はノースカロライナ級の改同型艦として設計されており、同級の兵装を踏襲しつつ、防御能力を改良して攻防の両面で16インチ砲対応能力を獲得したが、

その一方で、防御重量の拡大と艦の徹底したスリム化により、艦内容積及び凌波性の不足が問題となっており、条約の排水量制限による弊害に悩まされた艦でもあった。


兵装編集

砲装・対空火器編集

本級の搭載兵器は基本的にはノースカロライナ級と同一であり、

主砲・Mk.6 45口径16インチ砲と副砲・38口径5インチ両用砲の他、対空機銃に28㎜機銃と12.7㎜機銃(戦争中に40㎜機銃と20㎜機銃に換装)を装備した。


武装配置に関してもまた前級と同様であるが、艦体縮小の影響によるものか、

艦隊旗艦設備を置いたサウスダコタでは5インチ砲塔2基を減じており、またアラバマにおいては、他3艦で生じた40㎜機銃増設による航走性能の悪化を低減するため、40㎜機銃の設置数が少なく抑えられた。


観測装備編集

本級は当初よりレーダーを搭載していたが、司令塔上の索敵用測距儀は残されており(後日撤去)、新造艦船へのレーダー搭載がちょうど始まった頃の特徴をよく示している。


竣工時には、対空捜索レーダー・SK(或はより旧式のCXAM派生型)を搭載し、射撃管制装置(Gun Fire Control System GFCS)としてMk.4射撃管制レーダー(Fire Control Radar FCS)搭載のMk.38GFCS(主砲用)およびMk.37GFCS(5インチ砲用)装備したが、

1943年以降にはこれらに加えて対水上捜索レーダー・SGや40㎜機銃用のMk.51GFCSを搭載し、索敵用測距儀を更新する形でMk.3FCR、次いでMk.27FCRが装備された。


またMk.38GFCSに搭載されるFCRも、Mk.4からMk.3、Mk.8へと順次更新され、Mk.37GFCSにはMk.4FCRの改良型であるMk.12FCRに加えて、高度測定レーダー・Mk.22を併せて装備。

1945年にはSKレーダーの改良型であるSK-2レーダーがマサチューセッツとアラバマに搭載された。


航空機編集

本級の航空機運用設備は艦尾にまとめられており、揚収クレーン1基とカタパルト2基を装備する。艦載機にはキングフィッシャー水上偵察機3機が運用された。


艦体編集

船体形状・上部構造物編集

本級の船体形状および上部構造物は前級に準じたものとなっているが、集中防御の徹底のために船体長を短縮しており、

また防御重量拡大に伴う上部構造物スリム化の必要性から、排気煙突を1本に減じ、後部の艦橋設備を小型化している。


こうした艦のスリム化は防御能力改良の一助となったが、一方で凌波性の悪化や造波抵抗の拡大といった諸問題が生じる原因ともなっており、本級の攻防性能はその排水量に対して過大なものであったとする評価もある。


また推進軸に装着された整流装置・ツインスケグに関して、本級では、前級で生じた不良への対策として、その取り付け位置を内側2軸から外側2軸に変更するなどの改正が実施されたが、問題を克服するには至らなかったため、次級では再び内側2軸にスケグが装着されることとなった。


航走性能編集

本級は4軸推進艦で、重油専用ボイラー8基にギヤードタービン4基を搭載し、ボイラー2基とタービン1基を1セットとして、2セットずつを前後に分散して配置した。船体長短縮に伴う造波抵抗の拡大のため、機関出力は前級より強化されて13万馬力に引き上げられた。本級の速力は27.5ノットだった。


また振動問題は完全には克服されなかったため、前級と同様に最高速力の発揮には制約があった他、戦争後半の機銃増強により速力性能が悪化することとなった。


防御編集

本級はノースカロライナ級にて採用された耐弾防御と多層式防御を踏襲しつつ、装甲厚の拡充と垂直装甲の傾斜角度強化を実施して、対16インチ砲防御の獲得に努めた。


水中防御に関しては、水密隔壁の厚さを増して、空所の水密区画容積を拡張した他、

米戦艦として初めて水中弾対策が考慮されて、垂直装甲の延長に耐弾性能を付与した水密縦隔壁が装着された。


艦歴編集

就役編集

本級4隻は太平洋戦争中の1942年3月から8月にかけて就役し、

同年10月、調整を完了したサウスダコタが日本軍の脅威が迫る太平洋方面に出撃した。


ソロモンの戦い編集

太平洋に回航されたサウスダコタは空母・サラトガと同・エンタープライズを中心とする艦隊に合流し、機動部隊の護衛として日本軍の侵攻に備えた。


その後、日本艦隊がガダルカナルに侵攻し、サウスダコタは南太平洋沖海戦にて敵機動部隊と交戦。

次いで11月に巡洋戦艦を基幹とする打撃部隊が米軍飛行場攻撃を狙って進出すると、サウスダコタは迎撃部隊の1隻として第三次ソロモン海戦に参加した。


サウスダコタはこの戦いで、駆逐艦・綾波に命中弾を与えるなどの戦果をあげたが、一方で敵の反撃により電源を喪失するなどのトラブルに見舞われて、日本軍駆逐艦隊および巡洋戦艦・霧島の砲撃を受けて損傷した。


海戦は米軍の勝利に終わったが、大損害を受けたサウスダコタは修理のため本土に帰投するはめになり、代わってインディアナが太平洋での作戦任務に就くこととなった。


カサブランカ沖海戦編集

本級の3番艦・マサチューセッツは1942年10月に調整を完了すると、

北アフリカの枢軸勢力を攻撃するため、大西洋方面に向けて出撃した。


マサチューセッツは空母・レンジャーを擁する大西洋方面任務部隊の旗艦となると、上陸船団を伴ってモロッコへ進攻。

同年11月、マサチューセッツ率いる任務部隊はカサブランカ沖にてヴィシー・フランス(降伏後のフランスで成立した親独政権)軍への攻撃を開始した。(カサブランカ沖海戦)


マサチューセッツは麾下の重巡洋艦(ウィチタ、タスカルーサ)らとともに、戦艦・ジャンバールらカサブランカ駐留艦隊と沿岸砲台に対して艦砲射撃を射撃を行い、これらを撃破。

これによってフランス軍は降伏し、任務部隊が北アフリカへの上陸部隊移送を完了すると、マサチューセッツは本土に帰還し、1943年3月には太平洋方面に回航された。


イギリス派遣編集

1943年4月、調整を完了したアラバマと修復が完了したサウスダコタは、イギリス軍を支援するため、イギリス本国艦隊の指揮下に入り作戦活動を行った。


2隻は地中海やスカンジナビア半島周辺での船団護衛などに従事した後、同年8月に米本土に帰還。11月には太平洋に回航され、以後本級4隻すべてが太平洋に展開することとなった。


中部太平洋の戦い~終戦編集

1943年以降、本級は船団護衛や島嶼攻略の火力支援に従事し、ギルバート諸島やマリアナ諸島、パラオ諸島などを転戦。

1944年6月にはマサチューセッツを除く3隻がマリアナ沖海戦に臨み、多少の被害が生じたサウスダコタとインディアナは一旦本土に帰還した。


同年10月、マサチューセッツとアラバマはフィリピン攻略に従事し、

レイテ沖海戦に際してはハルゼー提督の機動部隊に属して、エンガノ岬沖海戦に参加し、途中反転してサマール沖に向けて分遣された部隊に追従した。


1945年以降は、沖縄や小笠原諸島での火力支援を行った他、機動部隊の護衛として各地を転戦。

また日本本土への艦砲射撃を行い、九州沿岸や浜松、釜石、室蘭などを砲撃して工場や軍事拠点(住宅地にも一部被害が及んだ)を破壊した。


戦後編集

8月に戦争が終結すると、本級は占領軍への支援任務に従事し、1946年に本土へ帰投して1947年に予備役となった。


その後、本級は1962年に除籍され、サウスダコタとインディアナがスクラップとして売却されたが、マサチューセッツとアラバマは記念艦として民間に譲渡され、共に同名の州にて公開された。


同型艦編集


関連タグ編集

アメリカ海軍 戦艦 前級ノースカロライナ級 次級アイオワ級戦艦

初代サウスダコタ級戦艦:同名の艦級。6隻が計画されたが、軍縮条約に基づき廃棄。

レキシントン級

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