ここでは史実でのアイオワ級戦艦について解説する。
概要
アイオワ級とは、アメリカ海軍の戦艦の艦級の一つ。アメリカ海軍が建造した中で最後にして最大、最速の戦艦である。
基準排水量・45,000トンと主砲・50口径16インチ(40.6センチ)砲は、全世界の戦艦史上、日本海軍の大和型戦艦に次ぐものであり、ゆえに大和型のライバルとして扱われることも多い。
また、第二次世界大戦後の1950年代以降、各国の戦艦が次々と退役していった後も、対地攻撃力を買われて幾度か再就役し、海軍から除籍されたのは21世紀に入ってからのことであった。
ゆえに、近代的な電子兵装やミサイルを装備した唯一の戦艦でもある。
1番艦から順にアイオワ、ニュージャージー、ミズーリ、ウィスコンシンの4隻が就役し、5番艦以降のイリノイ、ケンタッキーは竣工することなく破棄された。
兵装
主砲
本級は主砲としてMk.7 50口径16インチ砲を装備する。本砲は以前の新戦艦に採用された45口径砲に比べて砲身長が拡大されているが、これは排水量制限が拡大されたことで、より重い50口径砲の搭載が実現可能となったからである。
砲身長が増されたことで本砲の初速は大幅に増大され(Mk.6:700mps→Mk.7:760mps)、特に10~20㎞での垂直防御に対する貫通力は大和型の46センチ砲に次ぐ強力なものとなっている。
対応砲弾は弾重量1,200㎏の徹甲弾(SHS)や860㎏の榴弾が用意された他、
1956年には20キロトン級核砲弾であるW23が使用可能だった。(1962年には不活性化)
1980年代以降も対地攻撃に有用として全主砲塔が維持され、1,200発以上の砲弾を搭載可能だった。
W23
1956年に配備された核砲弾。
核出力は15~20ktで、クロスロード作戦に使われたものとだいたい同じ威力で50発ほどが製造された。
配備先は、ミズーリを除くアイオワ級戦艦3隻に搭載された。
2番砲塔からのみ発射されることになっており、専用の弾庫に10発前後が搭載された。
実際に発射されたことは一度もない。
1962年に撤去された。
その他の武装
1940~1960年代
本級は就役時より、対空兵装としてMk.12 38口径5インチ両用砲とボフォース社製40mm機銃、エリコン社製20mm機銃を装備した。
これらの武装は搭載する優秀な射撃管制システムに支援され、対空迎撃に絶大な威力を発揮したが、航空機の性能向上に伴って、40mm機銃や20mm機銃は威力不足となっていった為、戦後間もなく20㎜機銃は全廃され、40mm機銃も順次撤去が進められた。
以後朝鮮戦争やベトナム戦争など、本級が再就役する機会はあったものの、最終的に副武装には5インチ砲のみが残された。
1980年代以降
1980年代に復帰した際には、水上打撃戦力の中核として対地・対艦双方の攻撃力が大幅にパワーアップされ、本級はミサイル搭載戦艦として生まれ変わった。
この改装で一部の5インチ連装砲と引き換えにトマホーク艦対地巡航ミサイル用装甲ボックスランチャーやハープーン艦対艦ミサイルの4連装発射筒が装備され、個艦防空用にCIWS・ファランクス20mm機関砲が搭載された。
また艦対空ミサイル・シースパローが装備される予定だったが、シースパローについては運用設備が主砲発砲時の爆風に耐えられるものではなかったため、かわりに携帯式防空ミサイルシステム・スティンガーが運用された。
またイラン・イラク戦争におけるペルシャ湾出動に際して、対舟艇用のMk.38 25mm機関砲が搭載された可能性もあるが、定かではない。
エレクトロニクス
1940年代
本級は、米戦艦として初めて、就役時よりレーダーを装備したことが特徴的である。
またサウスダコタ級以前の艦には搭載された装甲司令塔上の観測用測距儀は、本級にて廃止されることとなり、かわりにMk.3射撃管制レーダー(Fire Control Radar 以下FCR)を就役時より装備した。
また対空捜索レーダー(Air Search Radar 以下ASR)・SK、対水上捜索レーダー(Surface Search Radar 以下SSR)・SGが搭載されたが、3番艦ミズーリ以降はSKにかわってSK-2が就役時より搭載された。
艦砲用射撃管制装置(Gun Fire Control System 以下GFCS)は、主砲用にMk.8FCRを備えたMk.38GFCS、副砲用にMk.4FCRを備えたMk.37GFCS、40㎜機銃用にMk.51GFCSが使用された。
その後、戦争中の1945年までに高度測定レーダー(Height Finder 以下HF)・SPやSSR・SUなどが追加された他、司令塔上のMk.3FCRはMk.27FCRに更新され、Mk.4FCRは拡大改良型のMk.12FCRとMk.22HFとに換装された。
1950年代
朝鮮戦争の勃発に伴い再就役した本級では、ASR・SK-2(一部艦にはSR-3に更新済み)がAN/SPS-6に、SSR・SGがその発展型のSG-6に更新された。
各GFCSもFCRの更新が行われ、Mk.38GFCSはMk.13FCR、Mk.37GFCSはMk.25FCRを装備し、朝鮮戦争後には、HF・SPをAN/SPS-8に更新した。
1960年代
朝鮮戦争終結後、本級は1950年代の後半に全艦が予備役入りしたが、1964年にベトナム戦争への介入が生じ、1968年に2番艦ニュージャージーのみが再就役した。
ニュージャージーはASR・AN/SPS-12(AN/SPS-6の改良型)を装備し、副砲用のMk.56GFCSを追加搭載。HF・AN/SPS-8は撤去された。
また時代遅れとなっていた通信システムを近代化し、電子戦装置・AN/ULQ-6を搭載した。
1980年代
1980年代にはレーガン政権の600隻海軍構想により本級4隻が再就役し、近代化改装が実施された。
前部煙突上のトラスマストにはASR・AN/SPS-49とSSR・AN/SPS-10が搭載され、SSR・AN/SPS-67が司令塔上に、饅頭型レドームを持つ多目的レーダー(SSR∩FCR)・AN/SPQ-9が火器管制塔や後部煙突に設置された。
通信システムは近代化されて衛星通信能力を獲得した他、艦艇自衛システムに準じて電子戦装置・AN/SLQ-32とデコイランチャー・Mk.36 SRBOCを搭載し、対魚雷防御用にAN/SLQ-25曳航式デコイを装備した。
航空機
本級の航空機運用設備は艦尾に集中され、カタパルト2基と揚収クレーン1基が設置された。
艦載機は3機が運用され、キングフィッシャーやシーホークなどの水上機が運用された。
第二次大戦後には偵察機や観測機の運用が航空母艦に一元化されたため、1950年代にカタパルトを撤去し、1960年代以降はヘリコプター甲板を設置した。
これはヘリの発着艦に使用された他、1980年代以降にはUAV・パイオニアの運用も行われた。
RQ-2 パイオニア
アメリカのAAIコーポレーションとイスラエル・エアロスペース・インダストリーズが開発した無人偵察機。
撮影したアナログビデオ映像をリアルタイムで送信することができる。
アイオワ級戦艦用に開発されたが、現在では多方面で使用される。
艦体
船体形状
本級の船体は艦首に強いシアを持つ平甲板型で、船首形状にはバルバスバウが採用された。
また全長は270m、艦幅は33mと全長にいたっては日本の大和型戦艦をしのぐ世界最長のものである(参考:大和型戦艦全長263m、艦幅38m・金剛型戦艦全長222m、艦幅31m)
これは本級が高速力を発揮するために造波抵抗の影響を小さくすることが求められたからで、縦横比はおよそ9:1と大きく、サウスダコタ級がおよそ6:1(全長207m、艦幅33m)、ノースカロライナ級は7:1(全長222m、艦幅33m)であることを考えると本級は艦幅に対して長めの全長を持つ艦であることがわかる。
このことに起因して、横波や主砲発砲の反動による影響、特に荒天時の動揺性や50口径砲のプラットフォームとしての安定性に問題があったことは確かである。
しかしながら、それでも本級の凌波性は米戦艦の中では優良なものであり、また16インチ砲艦として十分な排水量を持ち、武装に圧迫されて居住性や航走性能が悪化することもなかったことなどを慮るに、総合的な評価としては必ずしも悪いものではなかったのではないかと考える。
ちなみに、米新戦艦に共通する艦幅33mというのは当時アメリカが租借していたパナマ運河の通行規格・パナマックスに準じたもので、次級のモンタナ級はパナマ運河拡張計画に基づき、これを上回る艦幅で設計されていたが、これは未成に終わり、また計画も取り消されている。
上部構造物
本級は主砲塔3基を前後比・2:1で配置し、米新戦艦の特徴である火器管制塔を持つ艦橋設備と排気煙突2本を備える。
これは米新戦艦に概ね共通するオーソドックスな配置であるが、前2級に装備された艦中央部の揚収クレーンは本級にて廃止されている。
ちなみに就役当初の艦橋は露天の開放式であったが、艦隊側の不評を買って密閉式に改められており、3番艦以降は初めから密閉式艦橋を備えて竣工した。
1980年代の改装では、前部煙突上にトラスマストが新設されて、管制塔に電子戦装置の搭載スペースが増設されたため、本級の艦容は一変することとなった。
また艦首には大型の遠距離通信用アンテナが設置されて、艦載艇運用設備は大型化された他、後部右舷側に片持ち式洋上給油ポストが設置された。
防御
本級の防御能力に関してはサウスダコタ級に劣るとも言われるが、それはある意味で正しく、そしてある意味では正しくない。
というのは、本級は50口径砲搭載艦であるものの基本的には45口径砲対応防御に準じており、自艦搭載砲に十分耐えうるだけの装甲をもつことが望ましいとされる戦艦としては防御能力が不十分であるものの、しかし、本級とサウスダコタ級の額面上の防御性能には全く違いがないということである。
サウスダコタ級との比較では、本級の水線部装甲厚は同等程度、縮小されたものも一部あるが、司令塔の装甲厚などは若干拡大されている。
また水線帯には内向きの傾斜装甲が採用され、空いた下方スペースにはバルジが設けられている他、対水中弾防御が考慮されて装甲を艦底まで延長。対水雷防御には多層式防御や機関のシフト配置を採用して備えており、これらもまたサウスダコタ級に採用されたものと同じシステムである。
伝統的な米戦艦の設計方針と攻防力のバランスといった観点からみれば、アイオワ級が些か攻撃力偏重であることは否めない。
しかし、本級に要求されたのはヨーロッパの高速戦艦に匹敵する攻防力と航走性能を実現し、かつ全ての日本戦艦を凌駕できる能力(具体的には45口径16インチ砲対応以上の攻防力と速力30kt)を獲得することであり、その目標は想定外の46センチ砲を有した大和型を除いて概ね達成されていると言えるので、本級の防御能力は必要十分なものを備えたと言えるだろう。
機関・速力・燃費・航続距離
本級は蒸気タービン4基に重油(1980年代には蒸留油に変更)専燃のバブコック&ウィルコックス式ボイラー8基を備えていた。
アイオワ級に採用された燃料缶は蒸気圧42kgf/cm²・缶内温度454℃(参考:大和型25kgf/cm²・325℃、翔鶴型空母30kgf/cm²・350℃、島風型駆逐艦40kgf/cm²・400℃)の性能を誇り、アイオワ級は機関出力は21万馬力、過負荷時には25万馬力を発揮可能だった(参考:大和型戦艦の機関出力15万馬力、翔鶴型空母16万馬力)。
燃焼缶2基と主機1基を1セットとして4セットがシフト配置され、通常時の最大速力は31ノット前後、過負荷航行時の最大速力は35ノット以上という戦艦としては驚異的なものであった。
さらに蒸気タービンは二段階減速ギアを持つGE製ギヤード・タービンを採用した。他国では信頼性を考えて一段減速ギヤード・タービンを採用していたがアメリカ海軍は二段階減速ギアの実用化により機関部の軽量化に成功していた。
これと上述の燃料缶の性能により燃費が良く(蒸気機関は高温高圧になるほど効率が良くなり、無駄が無くなる)、大和型を上回る搭載燃料もあって航続距離は長大であり、17ノットで15,900海里(参考:大和型戦艦が16ノットで7,200浬、長門型戦艦が16ノットで5,500海里、金剛型戦艦が18ノットで10,000海里、ビスマルク級戦艦が16ノットで9,280海里、キング・ジョージⅤ級が10ノットで7,000海里、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦が20ノットで3,920海里)という当時の他の列強の一般的な戦艦の倍近い航続力を確保している。
この航続距離は地球の円周の3/4に相当し、単純計算では東京からロンドンまで無給油で航行可能である。
ちなみに実際に発揮された最高速度は1968年時のニュージャージーにおける35.2ktであり、また1986年の段階でも30kt以上の速力性能は維持されていたようである。
ツインスケグ
本級は4軸推進艦であり、中央2軸の後方に2枚の舵を配置している。
この中央の2軸にはスケグとよばれる大型の整流装置が備えられている他、外側の2軸にはテーパー状のスリーブが装着されており、乱流の発生によりスクリューの推進効率が低下するのを防ぐとともに、雷爆撃などの被害を局限して推進力喪失のリスクを低減している。
これらのスケグは両脇に2枚装備されていることからツインスケグ(twin skeg)と呼ばれ、米新戦艦に共通して装備されている。
しかし、就役後にはこのツインスケグに起因するものと思われる、高速運転時の異常振動問題が発生したため、ノースカロライナ級は改善工事を行って対処した他、その次級となるサウスダコタ級ではスケグの取り付け位置を内側2軸から外側2軸に変更するなどの改正が行われたが、抜本的な改善には至らなかった。
ただ、アイオワ級に関しては、ノースカロライナ級での教訓を生かした改良が行われたためか、スケグは再び内側被覆式に戻されたものの、スクリュープロペラや推進軸の調整などが実施されることとなり、30kt近くの高速でも振動はほとんど問題にならなかったと考えられる。
艦歴
建造の経緯
大別すると、本級は海軍休日明けに建造された新戦艦に数えられる。
伝統的に米戦艦は防御能力を重視しており、要求される速度性能は低くされていたことに対し、
海軍休日時代には日英の巡洋戦艦や欧州の新型高速戦艦に対抗するため、新戦艦には攻防力に関して従来の方針を踏襲しつつ、可能ならば27kt~30ktの速力性能を付与させるべきだとする考えが起こっていた。
この考えに基づき、1937年度の計画から盛り込まれた条約型新戦艦は27ktの速力を有することになり、1938年の第二次ロンドン条約のエスカレーター条項にて排水量制限が45,000トンに拡大された後には、機動部隊に追従可能な速力33ktの高速戦艦の建造が決められた。
この決定に基づき建造された戦艦こそがアイオワ級戦艦である。またサウスダコタ級の拡大強化型案なども同時に検討されたが、これは後にモンタナ級としてまとめられた。
この45,000トン級高速戦艦の建造にあたっては主砲力の強化と33ktの速力を求めることが優先されたため、防御力が据え置きとされたことは上述のとおりである。
本級は1939年度と1940年度の計画で4隻の整備が行われ、1943~1944年に就役した。また1940年以降には両洋艦隊法に基づき2隻の追加建造が決められたが、これは未成に終わっている。
1940年代
本級は就役後、カリブ海にて慣熟訓練を行った後に艦隊戦力に加わり、主に太平洋戦線で活動した。
ただし、最も早くに就役したアイオワはまず大西洋方面に出動してドイツ戦艦・ティルピッツに備えていたが、イギリス軍の攻撃で不活性化された後に太平洋方面に移動した。ちなみに会談に出席するローズベルト大統領がアイオワに乗艦したのはこのときのことである。
1944年初頭、アイオワとニュージャージーはマーシャル諸島攻略作戦に参加した。
特にニュージャージーはこのとき第5艦隊の旗艦を務めており、トラック島空襲の際にはアイオワを含む水上打撃部隊を率いて脱出を図る日本船団を攻撃し、護衛についていた駆逐艦・舞風を撃沈する戦果をあげた。
両艦は引き続きマーシャル諸島やニューギニア島の方面で活動していたが、6月にはマリアナ沖海戦に参加した。8月にはマリアナ諸島攻略がほぼ完了し、ニュージャージーはグアム島攻撃の後に真珠湾へ帰投したが、アイオワは9月にパラオ諸島のペリリュー島攻略支援を行っている。
9月以降、両艦は機動部隊に同伴して沖縄や台湾を攻撃し、フィリピン攻略作戦に参加する。
10月にレイテ沖海戦が生起すると、ニュージャージーとアイオワは第3艦隊に属してシブヤン海海戦、ついでエンガノ岬沖海戦に参加した。
12月以降にはミズーリとウィスコンシンが太平洋に配備され、本級4隻はフィリピンや沖縄、小笠原諸島を転戦。機動部隊の護衛や九州以北の日本本土に対する艦砲射撃を行った。
8月には日本が降伏し、ミズーリの艦上では降伏文書調印式が開かれて、第二次世界大戦は終結した。
本級は復員する兵士らを乗せて米本土に帰港。戦後は海外への巡航などを行っていたが、
空母と核兵器の登場によって水上戦力の中核として、また戦略兵器としての戦艦の存在意義が失われたため、唯一現役に留まったミズーリを除き、1948~1949年にかけて本級3隻は予備役入りした。
ミズーリが現役に留まった理由としては、当時就任していたトルーマン大統領がミズーリ州出身であり、自分の任期中は現役にしておくよう命令したからと言われている。
1950年代
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、1950~1951年にかけて3隻は再就役し、本級4隻が戦争に参加した。
組織的な水上戦力と交戦する機会はすでに失われており、本級は主に対地艦砲射撃による火力支援に従事した。またこの時には本級の艦上を利用したヘリコプターによる人員輸送も行われた。
本級は朝鮮戦争後も現役に留まり、地中海第6艦隊への配属や海外巡航などが実施され、ウィスコンシンが日本に寄港したこともあった。1955~1958年にかけて本級は再び予備役入りした。
1960年代
1968年にはベトナム戦争の激化に伴い、ニュージャージーが再就役した。
本級の任務は北ベトナムへの対地艦砲射撃が主なもので、約6か月にわたってベトナム沖で火力支援を行った。1969年に北朝鮮との緊張状態が生じた際には、一時横須賀に待機したこともあったが、間もなく緩和されて米本土に帰港。同年12月に再び退役した。
1980~1990年代
1981年にレーガン大統領が就任すると、彼が掲げた600隻艦隊構想に基づいて本級の現役復帰が決まり、1982~1988年にかけて再就役した。
この構想はソ連海軍の拡大に対抗して、米海軍がそのイニシアチブを保持するために計画したものであり、本級の復帰に関してはキーロフ級重原子力ミサイル巡洋艦の存在が影響を与えたとする意見もある。
この1980年代前半、いわゆる新冷戦の時代に再就役した本級は、リムパックなどの演習への参加や海外巡航を積極的に行った他、レバノン内戦やイラン・イラク戦争といった地域紛争に応じてたびたび当該地域に派遣され、場合によっては主砲による対地攻撃を実施した。
しかしながら、1989年末に冷戦が終結すると国防予算は大幅に縮小され、膨大な維持費用を要する本級は再び退役していくことになる。
1989年4月、アイオワの2番主砲塔で爆発事故が発生した。
これが直接的な原因となったかは不明だが、以降アイオワは不活性化され1990年10月に退役した。
次いでニュージャージーが1989年10月の演習以降に不活性化され、1991年2月に退役した。
こうして、艦隊にはミズーリとウィスコンシンの2隻が残された。
1990年8月には湾岸戦争が勃発し、これが本級最後の活躍の場となった。
ミズーリ、ウィスコンシンは1991年1月にペルシャ湾に進入すると、対地巡航ミサイル・トマホークを用いてイラク領内への精密爆撃を実施し、ファライカ島やカフジといった沿岸部の目標物に対しては16インチ砲による砲撃を行った。16インチ砲の威力は絶大なもので、ウィスコンシンがファライカ島に陽動として16インチ砲を行った際、発進したパイオニアUAVを発見したイラク軍部隊が降伏したという逸話まで存在する。
一方でイラク軍もミズーリに対して中国製のシルクワーム対艦ミサイルを発射した。
この時、イギリス海軍の42型駆逐艦「グロスター」がシルクワームをシーダート艦対空ミサイルで撃墜する(これが世界初の艦対空ミサイルによる対艦ミサイル迎撃となった)一方、アメリカ海軍のオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート「ジャレット」は誤射でミズーリに被害を出した。
1991年3月に両艦は帰投した。ウィスコンシンは1991年9月に退役し、
ミズーリは最後の任務となる真珠湾攻撃50周年記念式典参列を終えた後、1992年3月に退役した。
本級は最後の退役の後にも数年間、予備役として艦隊に残存していたが、
1995年2月にニュージャージーとミズーリ、そして2006年3月にアイオワとウィスコンシンが除籍。
本級の除籍によって、およそ1世紀に及ぶ戦艦の歴史はついに終止符が打たれた。
現在、本級は4隻全てが博物館や記念艦としてモスボール保存されており、アメリカ各地でその姿を見ることができる。
現在も艦体の寿命を延ばすための予備保守が定期的に行われており、2024年3月にはニュージャージーが乾ドックに入渠している。
同型艦(右は公開場所)
- USS Iowa BB-61:カリフォルニア州ロサンゼルス
- USS New Jersey BB-62:ニュージャージー州カムデン
- USS Missouri BB-63:ハワイ州オアフ島(真珠湾)
- USS Wisconsin BB-64:ヴァージニア州ノーフォーク
- USS Illinois BB-65:建造中止、スクラップ
- USS Kentucky BB-66:建造中止、スクラップ
余談
アイオワ級戦艦は「金剛型(およびその後継艦)に対抗する為に造られた」と言われるが、その他にも「日本海軍が建造しているとされていた35,000トンを上回る16インチ砲搭載の新型戦艦にも対抗する」
「日本同様水上艦での艦隊決戦に備えた、空母部隊に追従出来る速度」
「巡洋艦を一方的に狩るクルーザーキラー」
等の複合的な目的があり、金剛型に対抗する為だけに造られた訳ではない。
また、「大和型とどちらが強いか」というのもアイオワ級関連(アメリカ人提督)の中では鉄板の話題である。
大和型が火力と装甲に優れたパワー型だとすれば、アイオワは汎用性を持った万能型であり、一長一短といったところ。
仮に両者が直接(お互いに単艦で)火砲を交えた場合どちらが有利かというと、距離17000mを境に話が変わる。
それ以内であればアイオワの41cm砲であっても大和型の装甲は貫通可能となるため、単純に「先に致命傷を与えたほうが勝ち」となる。
ただし、対敵姿勢によって垂直装甲は避弾経始を発揮する場合もあるので、並行砲戦以外での有効射程はより短くなる。
逆にそれ以上のアウトレンジになると、アイオワの砲では大和型のバイタルパートを抜けなくなってしまう為、17000m以内に接近することができなければ一方的な勝負となる。
更に、アイオワは艦型として大和やサウスダコタより全長が長く、尚且つシフト配置によって機関部が大きい為、此処に装甲の想定威力を上回る大和型の砲弾の直撃を受けると自慢のスピードが一気に落ちるリスクは高い。
そして大和vsアイオワでよく言われるところの「アイオワ級の優れたレーダーと照準装置で命中率で大和を上回る」という論も、基本的には正しいが完全に当てはまるとも言えない。
これは結局戦艦が主砲で撃ち合うような距離まで近づくと、濃霧など余程の視界不良要素が無い限り、目視でも見えてしまう点が大きい。
アイオワ級の搭載するレーダーは戦艦クラスなら30~40km程の距離から探知できる能力を持つ。仮に双方に味方が存在せず、単艦同士で2艦が海面に放たれた場合は確実に有利である。まず間違いなくアイオワが先手を取れるだろう。
だが主砲で命中が期待できる距離20km圏内となると話は別で、アイオワが撃ち始めると濃霧でない限りは大和からも発砲炎が見えてしまうため奇襲効果は限定的であり、こうなると基線長15mもの測距儀を持つ大和と照準精度にはさしたる差は無くなってしまう。
そして次が一番の問題なのだが、戦艦の主砲というものは15kmも離れて撃ち合うとそもそも狙った通りに着弾しないという点である。
主砲は同一照準、1門の砲を狙いを動かさずに撃ち続けても、実際の着弾は前後左右に数十から数百メートルもばらけてしまうのである。アイオワ級も大和型も3連装3基9門の主砲を持つが、これは正しい照準でしばらく撃ち続けていれば、どれか1発はそのうち当たってくれるだろうという考えからである。つまり先手を取ったとしても、余程の幸運がないかぎりは命中弾まで時間がかかるのだ。
ここまで書いておいてなんだが、そもそも味方の支援も無く、晴れた日中に戦艦が単艦同士で殴り合いというケース自体がまず起こりえない、おとぎ話もいいところなのだが、それでも大和vsアイオワの対戦をまじめに考えると、先に相手を見つけるのはアイオワ、でも撃ち始めると大和も撃ち返してくるので、最終的には運が良い方が勝つ、というあまりに身も蓋もない結論が待っている。
もちろん、前述の通り濃霧だったら圧倒的にアイオワが有利、というか圧勝である。同じ理屈で視認距離が低下する夜間もアイオワが有利である。若干投げやりだが、距離40~30kmで探知と同時にまぐれ当たりを願って闇雲に撃ちまくるという手も無いではないため、この点もややアイオワ有利と言えるだろう。
逆にアイオワ側の不利な要素としては大和型に比して船体が大きく動揺して主砲の着弾散布界が悪化する海が荒れている場合である。日本側の理想はいつだって「天気晴朗ナレドモ浪高シ」なのだ。
余談その2
戦艦にミサイル等を搭載した事で有名なアイオワ級であるが、他にも様々な改修案が存在していた。
ミサイル巡洋艦化計画
1940年代末に未成艦ケンタッキーを、1950年代末にに当時予備役になっていた4隻を再びミサイル艦に改装して再就役させようという構想。
これは主砲塔を全て撤去し、ミサイルと哨戒ヘリコプターを搭載する案と三番砲塔のみを撤去しミサイルを搭載する案の2つの案があったが、いずれも巨額な費用を要するという事で具体化しなかった。
強襲揚陸艦化計画
1962年には支援火力を持つ強襲揚陸艦として改装しようという案も検討された。第3砲塔を撤去し後部を飛行甲板に改造するという案であったが、コレも実現せず。
航空戦艦化計画
後部の第3主砲を撤去し、其処にⅤの字上にスキージャンプ付きの飛行甲板を設置する事でヘリコプターやハリアーを搭載する計画。結局コレも実現されなかったが、この航空戦艦形態はニュージャージー フェイズⅡとしてニチモより模型化された事がある。
フィクションでの活躍
アメリカ海軍最大最後の戦艦と言うことで、フィクションでの出番も多い。特に3番艦のミズーリは真珠湾に停泊していること、降伏文書調印式の舞台となったなどの逸話から人気の模様。
- 映画「沈黙の戦艦」
地上最強のコックが活躍する舞台。この作品におけるミズーリのコック長こそが彼で、セガールとその仲間達の手によって主砲が火を噴き、敵組織の潜水艦を見事撃沈している。
- 映画「バトルシップ」
クライマックスに登場。現代の戦闘艦には無い強靭な装甲と孫子の兵法(?)を駆使して異星人の旗艦を撃破している。
- 映画「ゴジラVSキングギドラ」
ラゴス島に上陸した米軍を支援するべく、艦砲射撃を敢行する。
ゴジラザウルスにも砲撃するが、殺害するには至らなかった。
撮影用模型は『連合艦隊』で使用された戦艦大和を改造したもので、細部の形態が大和型戦艦のそれになっている。
現在は那須戦争博物館にこの形態のまま「戦艦大和」として保存されている。
- ゲーム「メタルギアソリッド4」
ミズーリが正規戦力に組み込まれていないアメリカ海軍の訓練艦として登場。アーセナルギア級のアウターヘイブン及びメタルギアRAYと交戦した。
- ゲーム「エースコンバット」シリーズ
「エースコンバット04」にエルジア海軍の戦艦「タナガー」として登場して以降、多くの作品に戦艦として登場している。
- ゲーム「チョロQマリン Qボート」
ニュージャージーとミズーリがそれぞれ登場。ニュージャージーは最終時、ミズーリは第二次大戦時の形態を模している。
- アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」
第六使徒ガギエル戦に国連軍太平洋艦隊の一員として、史実では建造中止となっているイリノイとケンタッキーが登場。最終的に轟沈するも弐号機とともにコアを破壊した。
新劇場版シリーズではヴィレに所属する戦艦として登場している。
- 漫画「範馬刃牙」
アイオワが身一つで泳いできた範馬勇一郎(主人公の祖父)に乗り込まれてしまう。当然戦闘になるも、腕力だけで甲板に人を突き刺す勇一郎の腕力を前に乗員たちは遂に海中へ逃亡。たった一人に艦を乗っ取られてしまった。勇次郎の親だし仕方ないね。