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トラック島空襲

とらっくとうくうしゅう

1944年2月、日本軍の拠点トラック島(現・チューク諸島)へ行われたアメリカ軍艦載機による集中攻撃。
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概要編集

1944年2月17日から18日にかけて、日本海軍主力が引き揚げていたトラック島泊地アメリカ海軍空母艦載機に急襲され、大損害を受けた事件。

日本側の呼称は「海軍丁事件」、アメリカ側の呼称は「ヘイルストーン作戦」(Operation Hailstone)。


1944年2月17日から18日にかけて、日本海軍主力が引き揚げていたトラック島泊地が米空母艦載機に急襲され、大損害を受けた事件。日本軍艦船及び徴用船が多数沈没・大破し、零式艦上戦闘機200機以上が地上で破壊された。


被害編集


日本側は徴用商船32隻が沈没、陸軍兵士や民間人も含め7000人以上の死者を出した。


軍艦では軽巡洋艦「阿賀野」、「那珂」、練習巡洋艦「香取」、駆逐艦「舞風」などが沈没。工作艦明石」は大破し、トラック島は基地機能を喪失した。連合艦隊主力は、新たな泊地をパラオとして西へ後退したが、パラオも安全ではなく「明石」はここで沈没している。


引揚者を乗せていた徴用船「赤城丸」は雷撃と機銃掃射を受け、子供を含む民間人500人以上が死亡するという悲劇も生じている。


アメリカ軍側は空母イントレピッドが大破し、艦載機25機を失ったのみでほぼ一方的な戦果を挙げた。


しかし、この激戦の中で「幸運艦」と言われる駆逐艦「時雨」、「春風」、そして特務艦「宗谷」は損傷しつつも生き残り、内地に帰投している。


その後編集

トラック島攻撃を成功させたアメリカ軍は2月23日にマリアナ諸島空襲を行い、日本軍の基地航空部隊に壊滅的な打撃を与えトラック島を勢力圏内に孤立させた。


基地機能を喪失したトラック環礁はアメリカ軍の攻撃対象から外され、上陸していた日本兵1万5000名以上が飢餓状態に陥って行く。


なお、トラック島空襲で沈没した船の一隻、捕鯨母船「第三図南丸」は1951年に浮揚に成功し名前を「図南丸」と変えて再び捕鯨母船として就役している(「図南丸」「第二図南丸」は既に戦没していたため)。


トラック島は現代では他のカロリン諸島東部の島々と共にミクロネシア連邦として独立し、チューク環礁の名で呼ばれている。沈没した多数の艦船は魚と珊瑚を育む美しい海中景観を生み、ダイビングの名所として知られる。

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