概要
第二次ロンドン海軍軍縮会議からの日本脱退後、1938年に英米仏が発効したエスカレーター条項に沿った低速戦艦として設計が進められたが、構想が固まっていなかった為、空母機動部隊に随伴できるアイオワ級の建造が優先された。
1940年、1番艦から5番艦までの建造予算が承認されたが、この時点でもまだ構想が固まっていなかった為、アイオワ級の建造が優先された。
1941年、最終案が承認を受けたが、太平洋戦争が始まって空母、揚陸艦、輸送艦、潜水艦等の増産が急がれたため、起工される事はなかった。
1942年、モンタナ級建造計画の中止命令が下された。
1943年、建造計画は全て取りやめとなった。
速力を優先した巡洋戦艦的なアイオワ級に対し、攻防力が優先され、基準排水量60,000t超、16インチ3連装4基12門の主砲を搭載、機関出力172,000馬力、最高速力28ktなど、日本の大和型に迫る内容だった。
全幅が37mに達するため、パナマ運河の幅を拡げて通航可能にする予定だった。
未成艦のなかでは、大和級に迫る攻防能力を持つことから破格の人気を持ち、横山信義作品をはじめとする架空戦記では高頻度で登場し、最近では中華系メーカーからイジェクションプラモデルキットまで発売されている。