バルト海侵攻作戦
西部戦線の膠着
1914年に始まった第一次世界大戦は当事者たちの予想を覆す状況となっていた。
ドイツ・フランス共にそれぞれシュリーフェン・プラン、プラン17といった作戦計画によって積極攻勢を行って短期に決着をつける腹積もりだった。
しかしフランスのプラン17は国境線でドイツ軍の反撃により失敗、シュリーフェンプランはフランス侵攻には成功したもののフランス・イギリス軍の反撃と補給の滞りにより攻勢を中断せざるを得なくなった。そして双方ともに相手側の攻勢阻止のために、ドーバー海峡からスイス国境まで長大な塹壕線を構築していった。これによって双方ともに攻勢ができず戦争が長期化することがほぼ決定なった。
バルト海侵攻作戦の立案
その状況を短期に決着させるべく、1915年イギリス第一海軍卿(日本海軍でいう軍令部総長に相当)ジョン・アーバスノット・フィッシャー元帥は、バルト海に直接侵攻を行って陸軍部隊を上陸させベルリンへ攻撃をかけてドイツを降伏させるという壮大な計画を立てた。
そのために建造されたのが「ハッシュ・ハッシュ・クルーザー(「秘密巡洋艦」)」と称される巡洋戦艦群であった。18インチ砲2門を搭載した「フューリアス」、15インチ砲4門を搭載した「カレイジャス」、「グローリアス」が建造されたが、それらの決定版ともいうべき艦が計画された。それが「インコンパラブル」である。
要目
基準排水量 | 46,738トン |
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全長 | 304.8m |
全幅 | 31.7m |
速力 | 35ノット |
兵装 | 50.8cm連装3基 6門 |
10.2cm3連装5基 15門 | |
45cm魚雷発射管 8門 |
全長は大和型戦艦を超える300m以上、主砲も50.8㎝という巨艦になる予定であった。
一方で防御力は舷側279mm甲板102mmしかなく、大和型(410mm/230mm)はもとより排水量でほぼ同等のヴァンガード(356mm/」152mm)以下のものしかなかった。
フィッシャーの辞任と計画中止
結局1915年に行われたガリポリ上陸作戦での政府部内の対立により、フィッシャーが第一海軍卿を辞任したことによってバルト海侵攻作戦は計画中止、「インコンパラブル」も基本設計が出来上がった段階で建造中止となった。