概要
1930年(昭和5年)、右太プロに入り、エキストラとして出演する。
1939年(昭和14年)、再び俳優として立つことを決意して東宝ニューフェイス入社。当初は大部屋俳優だった。
1943年(昭和18年)には黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』に主演。
またその男性的な風貌から『加藤隼戦闘隊』の加藤建夫陸軍中佐役をはじめ、多くの戦意高揚映画に主演、軍人俳優として確固たる人気を得た。
1948年(昭和23年)、おりからの東宝争議で大河内伝次郎や長谷川一夫と共に「十人の旗の会」に加わり、新東宝映画の設立に参加する。このため、東宝に残った黒澤の作品からは離れることとなった。
1957年(昭和32年)からはフリーとなり、再び東宝作品を中心に、主に脇役として存在感を見せた。黒澤映画には『隠し砦の三悪人』(1958年)の脇役で復帰。その後も『用心棒』など3作に出演したが、ごくわずかな出演シーンにとどまっている。
特撮作品では司令官役が多く、テレビの『ウルトラセブン』にも地球防衛軍ヤマオカ長官、『帰ってきたウルトラマン』でも地球防衛庁・岸田長官としてセミレギュラー出演していた。
1990年(平成2年)3月23日午後8時15分に肝臓癌のため、日本赤十字社医療センターで死去(78歳没)