概要
(1908年2月29日 - 1993年10月29日)。本名:牧野 正唯(まきの まさただ)
17歳のとき、赤痢にかかり、病床に伏したことを機に高校を退学、父が所長を務める東亜キネマ等持院撮影所で、今度は助監督として駆り出されるようになった。やがて父の興したマキノ・プロダクションで、18歳のとき、富沢進郎の共同監督として『青い眼の人形』で監督デビューを果たした。
1972年(昭和47年)に監督した東映オールスター映画『純子引退記念映画 関東緋桜一家』が最後の劇場作品となった。同作は興行的には大成功だったが、批評家からはあまり高く評価されず、これが映画監督引退を決断するきっかけの一つとなった。
1993年(平成5年)10月29日、死去した。85歳没。
主な作品
浪人街シリーズ (1928年 - 1929年)
『次郎長三国志』シリーズ (1952年 - 1954年、東宝版)
『次郎長三国志』シリーズ (1963年 - 1965年、東映版)
『日本侠客伝』シリーズ (1964年 - 1969年)