概要
1970年9月23日に公開されたアメリカの戦争映画。後述の事情から日米合作と紹介されることもあるが、あくまでも米20世紀フォックス単独の製作・配給作品である。
1941年12月8日に発生した「真珠湾攻撃」と、それに至るまでの流れを描いた群像劇。
原題は「Tora! Tora! Tora!」。
最大の特徴は日米双方の視点を日本・アメリカ双方のスタジオで制作・撮影した点。
アメリカ側の監督はリチャード・フライシャー、日本側の監督は舛田利雄と深作欣二が担当した。
出演はマーティン・バルサム(ハズバンド・キンメル役)、山村聰(山本五十六役)ほか。
米国アカデミー賞で視覚効果賞を受賞した。
あらすじ
1941年の日本は米国との関係性が悪化の一途をたどり、戦争を求める声が高まっていたが、日本海軍の山本五十六は開戦に否定的であった。
その目で実際に米国を見てきた山本は、米軍の戦力を理解していたのだ。
一方、アメリカ側のハズバンド・キンメル提督も頭を抱えていた。
ハワイ真珠湾の警戒を強めようにも、上層部が取り合わないのである。
外交での和平を目指した両国の努力もむなしく、12月8日、真珠湾奇襲作戦が決行されてしまう。
日本側の製作を巡って
幻の黒澤版「トラ・トラ・トラ!」
企画段階から日米双方の視点で真珠湾攻撃を描くことが決まっていたため、日本側のシーンは日本のスタジオと監督に任せることになった。
『史上最大の作戦』も手掛けたプロデューサーのエルモ・ウィリアムズは黒澤明の名前を挙げた。当初黒澤は乗り気ではなかったが、東宝から独立して間もなかったこと、『暴走機関車』の製作が中止になってしまったこともあって本作の制作にのめり込むようになった。
制作発表には黒澤とウィリアムズだけではなく源田実本人も出席し、1969年公開予定と発表された。
源田を始め当時の海軍関係者への取材を経て脚本が完成。当初の脚本はそのまま映像化したら7時間超となるほどの超大作だった。
1968年にはB班監督に佐藤純彌の起用も決まり、さらに山本五十六役に一般人を起用するとも発表された。さらに撮影には黒澤の古巣東宝ではなく東映の京都撮影所を使用するとも発表された。この2点が後に本作が一時暗礁に乗り上げるきっかけとなった。
20世紀フォックス側も「これは黒澤映画だ」と評するほど黒澤の起用は大々的に報じられ、1968年11月には主要キャストが発表された。
しかしその主要キャストは高千穂交易社長(山本五十六役)、彫刻の森美術館常務理事(黒島亀人役)、北野建設社長(山口多聞役)、伊藤忠商事常務(来栖三郎役)と財界の大物が立ち並び、俳優は山崎努(源田実役)、東野英治郎(南雲忠一役)など一部を除いて脇役になっていた。
しかし撮影開始からわずか1週間ほどで黒澤の体調不良により、黒澤プロ側の判断によって黒澤の降板が決まってしまう。
黒澤は続投を申し出たが合理主義なアメリカ側の制作体制には合わず、最終的には日本側の全スタッフが解散となってしまった。
黒澤から話を聞いた土屋嘉男によると、「長官室に時代劇の連判状があったんだ。怒る方が当たり前だろう?」、「俺はいつもの俺のやり方で撮ったんだ。病気でも何でもない。君には分かってもらえるけれど、そんなこともわからない連中がウヨウヨいる」と東映側への不信感をあらわにしていたようである。土屋は「東宝ではみんな慣れっこだから何の問題もなかった。でも東映では黒澤さんのやることなすことが奇異に見えたに違いない」、「当時の東映ではヤクザ映画を撮っていて、本物や偽物(俳優)のヤクザが撮影所内にウロウロしていた。黒澤さんの最も忌み嫌うヤクザ。そんな最悪の環境で一層自己を貫こうとしたに違いない」と黒澤に理解を示している。
事実黒澤が撮影所に入った際に「ヤクザ屋さん」が黒澤のタクシーを止めて「誰や?」と誰何したため黒澤が怒って帰ってしまったという証言もある。
黒澤が意欲的に起用した財界の大物たちも黒澤が望むような演技は出来るはずもなく、これも撮影の遅れの原因になった。
そもそも黒澤自身は当初の20世紀フォックス側の姿勢もあってかこの映画の総監督と認識していたという食い違いも発生していた。
黒澤は1969年1月に正式に記者会見で降板を発表。黒澤は「撮影がアメリカ式にいかないと説明してくれと伝えたのにやらなかった」と黒澤プロの重役であり本作の日本側プロデューサーであった青柳哲郎への不信感をあらわにしていた。「青柳ら黒澤プロの若手重役たちが20世紀フォックスと組んで演じたお粗末な内ゲバ」との論調まであった。
ちなみに1967年5月には円谷英二に特撮監督の依頼が舞い込んでいたが、黒澤の脚本を読んだ円谷は依頼を断っている。その代わり東宝で『連合艦隊司令長官山本五十六』を製作するにあたり、本作との重複を避けるために真珠湾攻撃に関する描写は少なくなっている。
後任は誰だ?
そして黒澤が降板したとなれば当時の20世紀フォックスは日本の映画監督をまるで知らず、すでに故人の溝口健二(1956年没)の名を挙げるほど混乱していた。B班監督として起用された佐藤純彌も「黒澤さんと仕事ができないなら下りる」と降板を申し出た。
日本側でも「黒澤明降板」のニュースの反響が大きいことから20世紀フォックスは日本側の撮影を諦めようともしていた。
しかしエルモ・ウィリアムズは「日本人の手で制作するのが最善」と主張。最終的には後任の監督を選ぶことになった。
当初は『人間の条件』で知られる小林正樹にオファーしたが断られ、さらに市川崑、岡本喜八、中村登にもオファーしたが「黒澤さんが降ろされた理由もわからないのに引き受けられない」と断られてしまった。
さらに三船敏郎にも山本五十六役で出演してほしいと話が回ってきた。三船は「黒澤プロとのトラブルを解決し、製作全権を三船プロダクションに任せるなら引き受けてもよい」と回答。最終的には黒澤の復帰まで要求したためお流れになった。
市川崑は黒澤に対する道義とスケジュールの問題から断ったと証言している。
最終的に起用が決まった舛田利雄は「自分のところに話を持って行ったのは三船敏郎さんと市川崑さん」と証言しており、一時期は市川と舛田による共同演出の構想もあった資料も確認できる。
舛田はひとりでは難しいと20世紀フォックス側から別の監督の人選を一任され、当初は「自分の上に立ってくれる人を」と野村芳太郎や三隈研次に要請したがスケジュールの都合で断られ、以前面識のあった深作欣二を起用することにした。深作が担当した部分は黒澤が特に重要な部分と捉えていた部分で、航空機の機内描写などの特撮も含まれていた。
日活の監督である舛田と東映の監督である深作の共作は当時としては異例なことであった。
脚本は黒澤が書いたものがそのまま使われたが、黒澤自身の意向もあってエンドクレジットに黒澤の名前はない。
キャスト変更
黒澤の降板に伴い財界の大物たちは軒並み降板となり、山本五十六役には辰巳柳太郎(当初は松岡洋右役で起用されていた)や芦田伸介が候補に挙がったがいずれもスケジュールが合わず、最終的に山村聰に決定。山村は同時期に『あゝ忠臣蔵』の大石内蔵助役が内定していたが、台本を気に入り同時進行で撮影に臨んだ。
源田実役の山崎努も降板したことに伴い、当初は田宮二郎が候補に挙がったが契約条件が合わずに話が流れ、三橋達也に決定した。
第一航空艦隊関係では東野英治郎は引き続き南雲忠一を演じることになったが、当初は三川軍一を演じる予定だった藤田進が空席になった山口多聞役にスライドしている。
航空機
本作の撮影のためにT-6練習機およびBT-13練習機を改造し、日本海軍の航空機を再現した。九七式艦攻に至ってはT-6とBT-13をニコイチ改造するほどのこだわりで、現在でもエアショーなどで飛行する姿を見ることが出来る。
機体強度と操縦士の技量の関係で九九式艦爆の急降下爆撃は再現できず、また安全面の問題で爆弾の模型はFRPで作られその軽さから滑空してしまっているが、実機を使用したリアルな動きを見ることが出来る。
アメリカ側の航空機も型式の違いこそあれど飛行可能なP-40やB-17などの実機が使用されている。飛行場爆撃シーンなどの爆発するP-40などは実物大模型も使用している。
操縦にはアメリカ陸海空軍の現役・予備役、さらには民間のパイロット経験者からも希望者を選抜したが、すでに第二次大戦期のレシプロ機の操縦経験を持つパイロットは少なく、訓練中に2名が事故死している。
艦艇
攻撃隊の発艦シーンはエセックス級空母「ヨークタウン」が使用された。そのため設定上は「赤城」ながら右舷に艦橋があり、空撮シーンではアングルドデッキも確認できる。
「赤城」のほか「長門」と「ネヴァダ」は実物大セットが建造された。「長門」と「赤城」のセットは福岡県芦屋町に建造され、一般公開の際には連日観光客でにぎわった。
後述の駆逐艦「ワード」の撮影にはエドサル級護衛駆逐艦「フィンチ」が使用され、ハルナンバーを328から「ワード」の139に書き換えて撮影された。
日本公開版
本作には日本限定の「日本公開版」というバージョンが存在する。
日本公開版では宮中に参内した山本五十六が天皇に拝謁する前に木戸幸一と語り合うシーンと、ふたりの炊事兵(渥美清、松山英太郎)が厨房で日付変更線について語り合うコメディシーンが追加されている。
DVD版はインターナショナル版のみだったため長らく幻のシーンだったが、2009年に発売されたBlu-ray版からは日本公開版も収録している。
また本作の映像が『連合艦隊』(1981年東宝・松林宗恵監督)に流用されているが、初期のDVD版では権利関係の都合でこれらの場面は『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』の映像に差し替えられていた。
評価
現在でこそ指揮官の目線から真珠湾攻撃を描いた傑作と評価されているが、当時の評価は芳しくなかった。
アメリカでは「卑劣な真珠湾攻撃を正当化している」、日本では監督の深作からも「面白くなるわけがない」、「当時の日米の『政治の動向』が一切描かれていない(要約)」と批判の声が上がった。
一方三島由紀夫は「日本側とアメリカ側を交互に移していくパラリズム。その写す時間がだんだん短くなっていく。あれは素晴らしい」と高く評価していた。
また真珠湾攻撃を防げなかった原因をワシントンの政府上層部の責任であるとした描写は当時としては斬新であった。
公開当時はあまり注目されていなかった甲標的による特別攻撃隊と、それを独断で砲撃・撃沈したアメリカ駆逐艦「ワード」についても描写されており、これらの点も高く評価されている。
アメリカでは一方的に攻撃された真珠湾攻撃ということもあって興行成績は振るわず、続く『ミッドウェイ』はアメリカを中心にした作風に切り替えられた。
関連単語や表記揺れ
関連タグ
真珠湾攻撃を題材にした映画
ハワイ・マレー沖海戦:1942年制作。下士官搭乗員が目標となる米軍艦艇のシルエットクイズを出題する場面は同作のオマージュと言われている。
ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐:1960年制作。源田実に相当する人物を三橋達也が演じている。
パール・ハーバー:2001年制作。同作の酷評がアメリカでの本作の再評価につながったともいわれている。