解説
P-40は、アメリカのカーチス社で開発され、第二次世界大戦期の1939年に実用化したレシプロ戦闘機。
アメリカの陸軍航空隊をはじめ、イギリス空軍、ソ連赤軍、中華民国軍など連合国側の軍隊で広く運用された。
愛称は複数種存在するが、米陸軍航空隊では「ウォーホーク」(Warhawk)と規定されている。
開発に際し、原型となったのは空冷エンジン搭載のP-36戦闘機。
液冷エンジンへの換装を主軸とする大幅な設計改変でXP-40として誕生し1938年に初飛行、P-36の最高速度504km/hから大幅に向上した589km/hを記録したことが決め手となり、制式採用が決定した。
特徴・他国機との比較
零式艦上戦闘機 | スピットファイア & Bf109 |
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他国の単発戦闘機、例えば日本の零式艦上戦闘機が約2.4トン、イギリスのスピットファイアが約2.6トン、ドイツのBf109が約2.7トンのところ、P-40の全備重量は約3.9トンで、当時としては重量級な機体といえる。
そして、これでエンジン出力が特段優れていた訳でも無かったため、上昇性能や俊敏性に関しては同時期の戦闘機と比べて劣った。
ただし、最高速度はE型で550~583km/h、N型で608km/hと当時の戦闘機としてはそこそこ優秀な部類に入った。
また、旧来的ながら堅実な設計により担保された機体構造の強固さゆえ他の機体なら空中分解する速度での急降下を可能としたことや、充実した防弾装備により多少の被弾をものともしない耐久性・防御力など、他を上回る点も少なからず有していた。
運用・戦史
P-40は太平洋島嶼、東南アジア、中国、北アフリカ、地中海、ヨーロッパ、ロシアなど、第二次世界大戦のあらゆる戦域で活躍した。
特に、1940~42年にかけての大戦序盤、厳しい守勢を強いられる連合軍の航空戦力を不足に陥らせない役割を担ったことは特筆に値する。
武装は型式の更新に従って7.62mm機銃2挺から7.62mm機銃4挺、12.7mm機銃4挺、最終的に12.7mm機銃6挺にまで強化された。
連合国が攻勢に転じた大戦中期以降は、長距離任務の増加により主力機がP-38やP-47、P-51といった航続距離の長い機体へと置き換えられていき、P-40の生産は1944年に終了した。
フライング・タイガース
1941年12月、日中戦争の空に突如鮫の口を模したシャークマウスのP-40が現れ、日本陸軍の九九式軽爆撃機を4機撃墜。
中華民国を救うべく立ち上がった義勇航空隊「フライング・タイガース」の登場だった。
...ただ、劣勢を強いられる中華民国の希求を受けアメリカで編成されたこの部隊は、実質的に米陸軍航空隊と同等の存在。
義勇参戦の扱いは、戦前のアメリカで主流だった中立主義から身をひそめるためのものだった。
もっとも、太平洋戦争で日米が正式な交戦状態に突入するとその扱いも不要となり、1942年7月付でフライング・タイガースは解散されている。
なお、フライング・タイガースのシャークマウスに関し、対戦した日本軍パイロット達はその図案の元ネタについてワニや虎などと予想していたとか。
余談
最終形態・XP-40Q
XP-40Qは、P-40の最終形態。
エンジンを2段式スーパーチャージャー装備型に換装、水滴型風防化、冷却システムの更新など徹底改良が施され、最高速度680km/hを発揮するP-40系統機体で最高性能の型式となった。
...が、既に実績を挙げているP-51などの新鋭機を代替するほどの価値はないと判断され、不採用に終わった。
日本軍の鹵獲機
日本軍は太平洋戦争の緒戦にてP-40複数機の鹵獲に成功。調査を実施した。
結果、飛行性能に関しては低評価を下しつつも、オイル漏れが全く無いこと(日本軍機のエンジンは飛行後に油まみれになっているのが当たり前だった)、セルモーター1つでエンジンを始動できることなど、基礎工業力の差を見せつけられてもいる。
また、機外へ小便を排出する設備など、パイロットに配慮した設計に感銘を受けた技術者もいた。
...が、その小便排出用ホースを「地上運転中に機外との通話に用いる伝声管」と勘違いし、口をつけてしまった者もいたという。
なお、「迎撃戦には日本機より向いているのでは」と鹵獲P-40から成る防空部隊も結成されたが、戦果は特に挙げられなかった。