概要
スーパーマリン社の主任設計技師であったR.J.ミッチェルは、空気抵抗を減らすために非常に流麗な流線形の機体をもった水上機を製作し、ネイピア ライオンやロールス・ロイス社製の強力なエンジンを搭載して、「シュナイダー・トロフィー・レース」で3度の優勝を成し遂げている。こうした先進的な設計は、戦闘機にも応用できる部分が大きかった。1931年、ミッチェルはRAFの仕様F7/30に合致する404 km/h以上の速力を持つ戦闘機の開発を始めた。
1934年2月に初飛行した最初の試作機であるタイプ 224は、風防がなく、空気抵抗の大きい固定脚をもつガルウイングの単葉機で、エンジンにはロールス・ロイス ゴスホークを搭載していた。しかし、他社が設計したものと同じく、空軍の期待に添う性能ではなかった。ミッチェルは、レース機の経験を生かした設計に取り組み、より洗練された機体の設計を進めた。新しく設計されたタイプ 300には、主翼の小型化、主脚引き込み機構を搭載し、1934年7月にイギリス航空省へ提出されたが、採用には至らなかった。このタイプ 300に改良を進め、風防、酸素マスク、そしてより強力なロールス・ロイス社製のマーリンエンジンが搭載された。1934年11月には、スーパーマリンの親会社であるヴィッカース・アームストロングの支援を受け、タイプ 300の細かな設計が進められた。
1935年1月3日に航空省は正式に契約し、必要な装備の要求を掲載した仕様F10/35を発行した。武装は、ヴィッカース7.7 mm機関銃4丁であったが、1935年4月に航空省のラルフ・ソアビーによる推薦で、ブローニング7.7 mm機関銃8丁へ改められた。1936年3月5日に試作機(K5054)がイーストリー・エアロドローム(現サウサンプトン空港)において、初飛行を行い。その後、ジェフリー・クイールとジョージ・ピカリングらによる試験飛行で528 km/hを記録し、より鋭利なプロペラでは、557 km/hに達した。1936年6月3日には、航空省から310機のスピットファイアが発注された。
その後ミッチェルは1938年に運用が開始されるスピットファイアの活躍を見ることなく、1937年6月11日に直腸がんにより42歳という若さでその生涯を終え、以降の改良は同じくスーパーマリン社のジョセフ・スミスに引き継がれることになった。
楕円翼の採用は生産性の悪化を招いたものの、捻り下げや戦闘機としては極めて低い翼厚比と併せて、大迎え角での誘導抵抗の減少、翼端失速の防止、翼内武装の充実、高速といった長所をスピットファイアに与えた。後のスピットファイアの翼は、これよりももっと薄く、全く異なった構造になっている。
しかし開戦後にも次々と改良型が開発され、第二次世界大戦中に最も大量に製作され最も発展を遂げた航空機となった。エンジンをマーリンエンジンからロールス・ロイス社製「グリフォン」に換装した後期生産型(所謂グリフォン・スピットファイア)は、レシプロ機として究極の域に到達した機体と言っても過言ではないだろう。
迎撃戦闘機型の他に写真偵察機・戦闘爆撃機・艦上戦闘機などの機体も製作されており、本機は英国だけでなく連合国軍の共通機種として使用された(ドイツに占領された各国から亡命した解放軍(自由フランス軍や自由ポーランド軍など)や英国に戦闘機を供与する立場であった米国陸軍までもが当機を使用した。
米陸軍はヨーロッパ戦線の他、米陸軍の戦闘機が零戦に対抗不可能だったため、太平洋戦線にも投入することを打診していたという。しかしオーストラリア上空の戦闘で、結局高翼面荷重のスピットファイアでも旋回戦では零戦には手も足も出ないことがわかり、ヤンキー・スピッツは零戦と合間見えることはなく、P-38ライトニング、P-47サンダーボルト、P-51ムスタングの登場を待つことになる。
また、海軍でもスピットファイアは使用され「シーファイア」という名称で呼ばれ最初から陸上型のスピットファイアに空母で運用するために着艦フックや折りたたみ式の主翼などの艦上機用装置が装備すると共に機体構造を強化されたものが生産され、実戦部隊に配備された。
ただし強化されたとは言ってももともとスピットファイア自体の主脚が脆弱なため、外側折りたたみの構造とそれから来る狭いトレッドのため着艦事故が耐えなかったという。この為部隊では主脚の頑丈なシーハリケーン(ハリケーンの艦上型)の方が好まれた(ハリケーンは主脚の強化の必要すらなく、シーハリケーンの他、空軍形に最低限の着艦装備だけつけたタイプも運用されている)。
主脚の強度不足は空軍のスピットファイアでも問題となった。特にノルマンディー作戦以降、ろくに整地されていない前線の飛行場では運用に危険が伴ったため、ハリケーンの後継機であるホーカータイフーン・ホーカーテンペストが英国製戦闘機の主力となった(ただしタイフーンやテンペストは離陸に必要な滑走距離が長かったため、滑走路が小規模でも運用できるスピットファイアも継続して使用されている)。
皮肉なことにこの関係はドイツのBf109とFw190の関係とまったく同じであった。だが、やはりBf109と同様に出番が全くなくなった訳では無く、前線から離れた整備の良い飛行場を使える迎撃任務で活躍。ドーバー海峡を超えて飛来するV1飛行爆弾の迎撃などをこなし、スピットファイアは第二次世界大戦を通して、イギリスの空を守り抜いたのであった。
だが、戦後よりジェットエンジンが急速に発達し、それに伴ってスピットファイアは急速に第一線から退いていき、1948年2月をもって生産が終了した(それ以降もシーファイアについては艦上戦闘機のジェット化が遅かったため朝鮮戦争で現役で、陸上機型はイスラエル空軍で第一次中東戦争において、なんとBf109(S-199)と共に運用されている)。
後継機
終戦間際にはテーパー形の層流翼を採用し、胴体と共に新規設計された発展改良型とも言える後継機『スパイトフル』が開発された。
しかし終戦による発注キャンセルやジェット化の波に逆らうことはできず、艦載機型のシーファング共々本格的な量産がされることはなかった。
ただ末期のスピットファイアの尾翼やジェット艦上戦闘機『アタッカー』の主翼といったパーツ単位では量産・流用がされていた。
バリエーション
前述のとおりスピットファイアは第二次世界大戦を通して常に第一線で戦い、非常に多くの型式が作られている。
中でも主翼の武装配置はバラエティ豊か。
・7.7mm機銃8挺を搭載したA翼
・内側の4挺を取り払い7.7mm1機銃4挺、20mm機関砲2門となったB翼
・20mm機関砲のすぐ外側に増設されたソケットに更に機関砲を搭載し7.7mm機銃を外すことで、B翼と同じ武装配置以外に20mmのみを4門搭載できる武装の選択が可能なC翼
・武装を全て廃し空いたスペースに燃料タンクを増設した偵察機用のD翼
・C翼を元に7.7mm機銃をオミット、4門あるうち内側の20mm機関砲を12.7mm機銃に換装することが可能なE翼
・今まで使われてきた楕円翼と呼ばれる主翼形状そのものを一新、今までよりさらに薄くなり(タイヤを格納するためにバルジが必要になる程)、武装が弾の発射速度が向上した20mm機関砲4門で固定された新型翼
量産された機体の主翼形式だけで以上の6パターンが存在する。
以下に生産されたスピットファイアの各型式をリスト形式で記す。なお、同一仕様の偵察機型PRや海軍艦載機型のシーファイアに独立したナンバーが振られている場合は、型式の項目は作らず当該仕様の主翼またはエンジンの欄に差異を記す。
型式 | 特徴 | エンジンとプロペラブレード枚数 | 主翼 |
---|---|---|---|
Type300 | スピットファイアの原型機でまだその名は冠していない。量産型との外見の差異は尾部の降着装置が車輪ではなく橇、ピトー管の位置が主翼の下ではなく前縁、後ろ向きの排気管が無い等。 | PV-XII、2翅 | (武装無し) |
Mk.I | 最初に生産された型。初期型はプロペラが木製の2翅でキャノピーは平滑だったが、後にピッチの角度が変えられる金属製の3翅に変わり、キャノピーも後々まで使われ続ける上と左右に丸く張り出した形状(マルコムフード)に変更され視界の改善が図られている。 | マーリンII、マーリンIII、マーリン32(PR Mk.XIII、シーファイアMk.II)、2翅、3翅(シーファイアMk.II含む) | A翼(PR Mk.XIII含む)、B翼(シーファイアMk.II含む)、D翼(PR Mk.IV) |
Mk.II | Mk.Iからエンジンが強化され、防弾版が追加された。シーファイアはこの型より主翼の折り畳みが可能となる。 | マーリンXII、3翅 | A翼、B翼、C翼(シーファイアMk.III) |
Mk.III | 新型マーリンエンジンの試験機。格納式の尾輪が採用されている。 | マーリンXX、3翅 | (武装無し) |
Mk.IV | グリフォンエンジンの試験機。Mk.IIIと同じく格納式の尾輪で、右翼のラジエーターが大型化した。後に尾翼のラダーを大型化する改造を受ける。またグリフォンエンジン搭載機に共通する特徴として、機首の上側左右に縦長のこぶがある。 | グリフォンIIB、4翅 | C翼 |
Mk.V | Mk.Iのエンジンを強化したものに換装し、エルロンを羽布張りから全金属製に改めた型。熱帯や砂漠地帯に派遣されたTrop仕様はインテークに防塵フィルターを装着する都合上、機首の下部が大型化して最高速度の低下を招いたが、後に小型化されある程度改善される。 | マーリン45、3翅 | A翼(PR Mk.VII含む)、B翼(シーファイアMk.I含む)、C翼、D翼(PR Mk.IV) |
Mk.VI | 高高度戦闘機型。コックピットが与圧される関係上、風防がスライド式からネジ止め式になった。高高度でも揚力を稼ぐ為に主翼の先端が延長され尖っている。 | マーリン47、4翅 | B翼 |
Mk.VII | 高高度戦闘機型。Mk.VIから過給機が大型化され機首が若干伸びた。格納式の尾輪が採用された最初の量産型。また、楕円翼のエルロンがこの型とその改良型のみ短くなっている。これ以降の型は左翼のオイルクーラーにもラジエーターが追加され左右の冷却装置の大きさが揃う。 | マーリン64、マーリン71、4翅 | C翼、D翼(PR Mk.X) |
Mk.VIII | Mk.VIIから与圧コックピットと延長翼端を廃し汎用性を高めた型。風防がスライド式に戻った。しかし後述のMk.IXの方が先に完成した上に思いの外高性能を示した為、微妙な立場に立たされてしまった。 | マーリン61、4翅 | C翼 |
Mk.IX | Mk.V(=Mk.I)の機体にMk.VIIIのエンジンを積んだ戦時急造型。 | マーリン61、4翅 | B翼、C翼、D翼(PR Mk.XI)、E翼 |
Mk.XII | 低空迎撃機型。グリフォンエンジンを搭載した初めての量産型。Mk.VIIIベースの改造型とMk.IXベースの改造型があり、尾輪は固定式と格納式の両方がある。低空でのロール性能向上のため、翼端が切断され角張っている。 | グリフォンIIB、グリフォンIV、グリフォンVI、4翅 | C翼(シーファイアMk.XV含む) |
Mk.XIV | Mk.VIIIをベースにグリフォンエンジンへの換装や尾翼の垂直安定板を前方に引き延ばすなどの改造が施された型。両翼のラジエーターも更に大型化したほか、後期型は胴体後部の設計も変更されファストバックから涙滴型キャノピーになった。 | グリフォン65、5翅 | C翼、D翼(PR Mk.XIX)、E翼 |
Mk.XVI | アメリカのパッカード社でライセンス生産されたマーリンエンジンを逆輸入して搭載したMk.IX。米英の寸法の単位の違いから大きさに若干ズレがあり、機首の上部がMk.IXと比べほんの少し膨らんでいる。後期型は涙滴型キャノピー。 | マーリン266、4翅 | C翼、E翼 |
Mk.XVIII | 基本的にMk.XIVと同じだが翼内の燃料タンクが増設され、より多くの燃料が入るようになった。全機涙滴型キャノピー。 | グリフォン65、グリフォン67、5翅 | E翼 |
Mk.XX | Mk.IVと同一の機体DP845号機でMk.XIIのプロトタイプとなった。後に機体の方にも改修が施されMk.21のプロトタイプとなる。 | グリフォン61、4翅 | ※、C翼 |
Mk.21 | 新型翼を採用したこれ以降のナンバーのスピットファイアは『スーパースピットファイア』とも呼ばれる。この型はその中で唯一Mk.XIVの初期型をベースとしている為スーパースピットファイアの中で唯一ファストバックとなっている。 | グリフォン61、グリフォン85、5翅、6翅二重反転(シーファイアMk.45) | 新型翼 |
Mk.22 | Mk.21の改修型で、風防を涙滴型キャノピーに改め、電気系統の電圧を上げた。後期型は後継機スパイトフルの大型化した尾翼が取り入れられた。 | グリフォン61、グリフォン85、5翅、6翅二重反転(シーファイアMk.46) | 新型翼 |
Mk.23 | Mk.22の翼端を延長した試験機。ただしファストバック。 | グリフォン85、5翅 | 新型翼 |
Mk.24 | Mk.22に燃料タンクとロケット弾用パイロンを増設した型。シーファイアMk.47は今まで下部から飛び出た配置だったインテークが機首と一体化した形状となり、加えて新型翼で唯一主翼の折り畳みが可能となった。 | グリフォン85、5翅、6翅二重反転(シーファイアMk.47) | 新型翼 |
※初期に20mm機関砲6門のモックアップを装備した試験用の主翼を採用していた。
余談
ストライクウィッチーズの登場キャラ、リネット・ビショップ、ウィルマ・ビショップ、エリザベス・F・ビューリング、パトリシア・シェイド、アメリー・プランシャールのストライカーユニット、ウルトラマリン スピットファイアの元ネタでもある。
(自主製作)映画
このように人気のある戦闘機なので、映画等でもよく主役を務めている。
中でも簡単に閲覧できる作品がこちらの作品、『The German』という自主製作映画だ。
ご覧のとおり、「自主製作」とは思えないほどの迫力である。
空戦シーンだけをとってみても、予算をかけた邦画作品と比べても遜色ないほどよく出来ているし、しかもこれが(アイルランド映画委員会の援助を受けたとはいえ)全くの個人製作というところが驚きである。驚きの製作費は7万ユーロ(約925万円)なのだとか。
話のオチとは?
少々分かりにくくなっているが、不時着したのはアイルランド(戦争当時は中立国)なのだという。最後はお互い当局に拘束され、両方とも捕虜(一応)にされたし、頭も冷えて正気に戻ったので一応の仲直り、というラストになっている。
メイキング映像
「Tracer(トレーサー)」とは曳光弾のこと。昼間は劇中のように煙で弾道を示す。