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曖昧さ回避

駆逐艦「シーファイア」

艦名は夜の海の異常屈折現象"Seafire"から。

イギリス海軍はドイツ海軍の新型駆逐艦に対抗してV級W級を建造したが、過大評価だったのが判明し、アドミラルティ改R級に基づいた設計に戻す事となった。

これにより、1917年度に建造されたアドミラルティS級駆逐艦の7番艦である。

1918年8月10日進水。

1919年、ソ連からラトビアの独立を守るためバルト海に派遣される(艦長:アンドリュー・ブラウン・カニンガム海軍中佐)。

1936年9月14日、スクラップとして売却された。

艦上戦闘機「シーファイア」

イギリス海軍の艦上戦闘機。名称は「シー・スピットファイア」の略。

第二次世界大戦勃発時、イギリス海軍航空隊の艦上戦闘機は爆撃機を改造した複座のフェアリー・フルマー等で、枢軸国の単座戦闘機に全く歯が立たなかった。

1941年、RAFからスピットファイアMk.5を100機借用し、離着艦テストを行った結果、改修を加えて艦上戦闘機として使用する事になり、「シーファイア」として採用した。

スピットファイアは主脚が弱く、間隔が狭いため空母への離着艦には向いておらず事故が頻発したが、戦況が逼迫し再設計している余裕が無いため、そのまま使用された。

1943年4月に生産を開始したMk.3から、主翼の折りたたみ機構が採用された。

1945年、F.17で主脚が再設計され強化されたが、既に第二次世界大戦は終結していた。

1948年、RAF向けのスピットファイアの生産は終了したが、海軍でのシーファイアの使用は続いた。Mk.47のFR型(偵察兼用機)は朝鮮戦争にも出撃しているが、ホーカー・シーフューリーが採用されていたため、生産機数はごくわずかであった。

1954年11月に退役した。

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    或る湾の海戦 或る山から見た海戦

    実話をもとにした小説。祖父の体験そのものを書けば短い文章で終わるが、それを味付けしたり、記憶が定かではない部分を記録や別の証言で補って書いてみた。筆者が見聞きできた唯一の戦争体験だから。  この小説が執筆されたのは、東京行き夜行バスの中でした。

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