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不知火

しらぬい

怪奇現象もしくは地名など。他の用例は本文参照
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曖昧さ回避

  1. 肥後にて発生する蜃気楼の一種。解明されていない時代には妖怪の仕業とされた。
  2. 和歌における筑紫にかかる枕詞。
  3. 日本海軍陽炎型駆逐艦の2番艦。不知火としては2代目。初代は東雲型駆逐艦。
  4. 熊本県柑橘類の品種、清見(温州みかん×トロビタオレンジポンカン
  5. マブラヴオルタネイティヴ」に登場する日本帝国の第三世代戦術機 → 不知火(マブラヴオルタネイティヴ)
  6. 柚子ペパーミント」に登場する、早川柚子の使用する鉄球
  7. 地名、人名またはキャラクター名

キャラクター


名字

その他

うん強そうだよ 横綱土俵入り


1の自然現象の不知火

不知火


3の駆逐艦「不知火」

大日本帝国海軍駆逐艦
東雲型駆逐艦「不知火」に続いて二代目であり、陽炎型の2番艦。
浦賀船渠で1939年12月に竣工し、鎮守府在籍。太平洋戦争開戦時には、同型艦「陽炎」、朝潮型」「」と共に阿武隈旗艦とする第一水雷戦隊第十八駆逐隊に属し、南雲機動部隊の警戒隊として行動した。この時に陽炎型姉妹艦4隻(谷風浦風浜風磯風)で編制された第一水雷戦隊第十七駆逐隊と行動を共にしており、共にハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加した。
後にラバウル攻撃に従事時、オランダ商船「モッドヨカード」と遭遇し、これを撃沈。だが第一水雷戦隊司令官「大森仙太郎」少将からは「射撃距離が遠すぎる。弾薬を節約せよ」とお叱りを受けた。
1942年4月20日に第17、18駆逐隊は第二水雷戦隊に転属。
6月のミッドウェー海戦に那智を旗艦とした第五艦隊所属として参加。横須賀から水上機母艦千代田」、「あるぜんちな丸」の護衛としてキスカに向かったが、キスカ島沖で濃霧のため仮泊中に米潜水艦グロウラーの雷撃を受け第十八駆逐隊は霰撃沈・霞大破でほぼ壊滅。不知火も艦橋付近を切断する大損傷を受けた。これにより十八駆司令官「宮坂義登」大佐は責任を取って自決し、第十八駆逐隊は解隊した。
ちなみに陽炎は修理中で無傷であったため、第二水雷戦隊第十五駆逐隊に編入される。だが1943年5月8日のコロンバンガラ島への輸送作戦に参加中に米軍の機雷により沈没、一挙に隊は全滅する。それを受けてネームシップが移行し、「陽炎型駆逐艦」の名称は「不知火型駆逐艦」に改定された。
1944年に第五艦隊所属第一水雷戦隊第九駆逐隊に編入。「霞」を旗艦とし、「薄雲」「白雲」を僚艦とした。だが出撃前に米潜水艦トートグに「白雲」が撃沈され、結局3隻体制となり、第九駆逐隊は第十八駆逐隊に改称された。
6月21日、サイパン島殴り込み作戦に備え、探信儀装備工事及び機銃・レーダーを整備し対潜性能を強化。だがマリアナ沖海戦で空母機動部隊の壊滅を受け、殴り込み作戦は実施前に中止された。
以降は輸送船団の対潜哨戒任務に投入されるも、そこで「薄雲」が米潜水艦スケートに撃沈され、ついに第18駆逐隊は「不知火」、「霞」の2隻となってしまった。
10月25日、レイテ沖海戦において志摩艦隊に属し、西村艦隊に続行してスリガオ海峡に突入。だが先行した西村艦隊はすでに「最上」「時雨」を残して壊滅しており、「不知火」達はスリガオ海峡で真っ二つになって炎上する戦艦「扶桑」を視認し、撤退。
10月27日、レイテ沖海戦で損傷した「鬼怒」の救助に向かったが発見できず、代わりにセミララ島の浅瀬へ擱座した「早霜」を発見。先方の警告を無視して沖合1000メートルに停止して救助活動を開始するが、作業を始めた直後、案の定敵機が来襲。不知火は急いで離脱を図ったものの、速力が上がらないままに艦中央部へ爆弾が直撃。爆発と同時に大火柱が噴き上がり、全艦猛火に包まれつつ真っ二つに折れて轟沈するという凄惨な最期を遂げた。
余りに凄まじい爆沈であったためか、第18駆逐隊司令、艦長以下乗組員全員が脱出する暇もなく戦死を遂げたとされる。

4の柑橘類の不知火

不知火でこ


中でもある一定の基準を満たした果実には「デコポン」の名が与えられる。

「結城友奈は勇者である」の不知火

東郷美森


東郷美森の保持する3体の精霊の内の1体。 白い燭台のような足を持ち、青白い炎に目が付いた姿をしている。

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