概要
『ドカベン』の登場人物。白新高校→日本ハムファイターズ→四国アイアンドッグス所属。
「白新高校」は水島新司の最終学歴「白新中学校」から。
人物
山田太郎の終生のライバルにして苦手投手。明訓との初対戦時は帽子に隠れている方の左目は失明しており義眼であったが、のちに父親からの移植を受けて両目共に見えるようになった。
1度目・2度目の対戦の時は山田との対戦で速球を投げ込んで敗北した。しかし3度目の対戦の時に「超遅球」(文字通りハエが止まるほど遅いスローボール)を会得してからは山田のことをカモにしており、4度目の対戦の時には山田の前の打者を敬遠して山田を仕留めるということもあった。
明訓との対戦は5度に及び、特に3度目は9回まで1人のランナーも許さない完全試合ペースで明訓打線を文字通り完璧に抑え込んでいたにもかかわらず、延長に入ってから立て続けにランナーを出した後にルールブックの盲点の1点が決勝点で敗れたことを始めとする足元を掬われる形での敗戦が目立つ。この逆主人公補正といっても過言ではない状況には本人も納得していないようで、5度目の対戦前のインタビューでは「明訓は俺に運よく勝っただけだ」「明訓を破ったらそれでいい。勝っても甲子園切符はくれてやる。あれは夏祭りだ!!」と豪語するほど。
明訓に勝つことができなかった理由としては、山田こそ完全に抑えながらも最終盤や延長でランナーを多く出すシーンが目立つといった未熟さゆえの詰めの甘さ(※東郷学園の小林が指摘している)、白新は1年夏時から3年夏時まで一貫して不知火によるワンマンチームであり、味方の援護が殆ど期待できなかったこと等が考えられる。もっとも、話の尺の関係から明訓のライバルチームはほとんど全てワンマンチーム(雲竜の東海高校や坂田の通天閣高校など)であり、主力級が同時に二人以上いたのは土佐丸高校や土門剛介と谷津吾朗の両名が在籍していた時期の横浜学院、そして山田世代の3年間で唯一明訓高校に勝利を収めた弁慶高校くらいなものである。上記の東郷学園も結局は小林のワンマンチームであり、事実2年秋の関東大会では捕手の実力不足で小林の球を捕れなかったことが敗因となった。
そのこともあってか、4度目や5度目の対戦ではそれを逆手に取ったチームメイトとの絆が描かれた。
ちなみに設定上白新高校は本来は野球の強豪校であるようで、1戦目の時点では「名門」と呼ばれていたり、山田世代が卒業した翌年の夏大会で神奈川県代表を勝ち取ったことがプロ野球編6巻で判明している。また、その次の春のセンバツ大会では代表選考の前ながら横浜学院が有力視されており、その後明訓高校野球部は凋落の一途を辿ることとなった。
そしてもう1つ、その敗因の決定的な要素として殿馬との絶望的なまでの相性の悪さが挙げられる。
まず1戦目では打者二巡までは6点リードかつ完全投球を展開していたが、殿馬によって投球リズムを完全に読み解かれたことで彼に初安打を食らい、その後も連打を重ねられた結果山田の満塁ランニングホームランによって一気に4点を返される。その後は立ち直るものの、9回にはまたも殿馬の「秘打・ポテトチップ」でヒットを打たれ、最後は山田・殿馬・土井垣が打ち合わせて行った奇策によって悪球打ちの岩鬼に対してウエストボールを投げてしまい、決勝タイムリーを打たれた。
2戦目では打撃の面では特に攻略されなかったが、この試合で負傷離脱中の里中に代わって主にマウンドに立ち、白新打線を手玉に取ってみせたのが他でもない殿馬だった(ただし不知火自身は殿馬からホームランを放っている)。
そして3戦目は、ある意味殿馬の対不知火キラーの真骨頂。この試合のエピソードとしては上記の「ルールブックの盲点の1点」が取り沙汰されることが多いものの、試合中は彼の好守備によって白新打線は完全に抑え込まれてしまった。これは直前に殿馬が巻き込まれたハイジャック事件によって彼が右肩を負傷してしまい、通常のスローイングがほぼできなくなっていることに気付いた不知火が殿馬に打球を集中させる作戦を決行したのだが、殿馬自身はそれを補うために特訓でグラブトスの技術を徹底的に磨いていたために全て難なく捌かれてしまったため。最初に殿馬に打球が飛んでしまい負傷が白新ナインにバレた際には山田も心底拙いと感じたものの、その後の殿馬の好守を目の当たりにし、むしろ秘かに「敢えて殿馬の所へ打たせてアウトにする」投球に切り替えるほどの信頼を寄せるまでになった。
さらには9回まで完全投球を続けていた不知火に対して10回表の岩鬼の打席で殿馬が1塁コーチボックスに入り、そこからの声出しで動揺させたことで死球を投げさせ、さらに続く自分の打席では「秘打・ハイジャック」によって初安打を放ったことで完全試合もノーヒットノーランも潰えさせて反撃の糸口となった。なお、逆に里中はこの試合で10回投球した上でノーヒットノーランを達成しており、当然ながらその大部分が殿馬の功績と言える。
4戦目では目立った見せ場はなかったものの、よく見ると先制点は殿馬の打点(死球となった岩鬼の特別代走で出塁した香車一直の好走によるフィルダーチョイス)である。
プロ野球野球編11巻においても、2年目(1996年)シーズンの優勝決定戦となったオリックスとの最終戦で登板し優勝と自身のシーズン20勝目をかけて戦ったものの、最後は殿馬とイチローの連携プレイの前に敗れ去った。
不知火自身も殿馬に対してはかなり強い苦手意識を持っていることが窺え、殿馬と対峙して彼の好プレイを目にすると度々「なんとなく嫌な野郎だ…」という感じの心情を溢したり警戒心を露わにしたりもしているが、山田と違って殿馬に対しては何かしら明確な対抗策を講じられたことは一度もない。不知火にとって山田が「ライバル」だとすれば、殿馬は最早「天敵」と言っても過言ではないだろう。
このほか1戦目と4戦目の決勝打点、3戦目のルールブックの盲点の1点をもぎ取った走塁(暴走)など、岩鬼にしてやられた結果が敗戦に繋がった場面も少なくなく、読者からは「山田には強いが、殿馬と岩鬼には弱い」と評されることもある模様。
上記のプロ野球編1996年シーズンに関しても、10巻で描かれたダイエー戦での登板時に岩鬼からホームラン3発(しかもすべて彼が苦手とするはずの「ど真ん中のストレート」)を打たれたことで敗戦する場面があり、(漫画上の演出とはいえ)結果的に優勝と20勝を逃す一因となってしまっている。
岩鬼は不知火を音読みして「フチカ」と呼ぶことが多い。岩鬼はキャラによっては本当に漢字を読み間違えて呼んでいる場合もあるが、不知火に関しては真面目な場面などではちゃんと正しく呼んでいることも少なくないため、ある種の愛称と思われる(岩鬼は山田のことも「やーまだ」と独特な呼び方をすることが多い)。
明訓の主要キャラクターとの関係は本人の性格の良さも相まって良好で、甲子園で対決が予想された緒方対策の特訓のためにそれまで投げたことのないフォークボールを覚えて山田に練習させ、怪我をした里中に対して遠回しながらもライバルと認めていると励まし、試合前には気安く冗談めいた会話を交わす等、ライバル高校の中で最も仲が良かったのは彼といっていいだろう。
そもそも不知火の初登場自体も実は里中よりも早い中学の野球部現役時であり、対東郷学園戦における山田のプレーに涙を流すほど感激し、クロスプレーによって腹に怪我を負った山田の手当てを手伝った上で自分のことを「山田太郎のファン」と断言したほど。ライバルであることとは別に山田達に対して強い好感を持っているのも当然といえる。
また高校からプロに至るまで基本的には一貫して山田のライバルとして立ちはだかり続けたキャラではあるものの、プロ野球編以降におけるオールスターゲームでは度々山田とバッテリーを組んでおり、特に1年目の1995年で初めて組んだ際には「投手として山田を相手に投げてみたかった」という本音を吐露するなど、喜びを露わにしていた。さらに1998年のオールスターでは前代未聞の「9連続三球三振」を達成した。このときは初めて使用するナックルボールを(当時犬飼知三郎と組んでいた山田を信じて)ノーサインで投じたり、山田も不知火の意思を察し尊重してファール見送りを徹底するなど、抜群のバッテリー相性を発揮していた。
水島新司お気に入りのキャラクターでもあり、『プロ野球編』以降、作中で最強の投手。
イナズマ魔球、ハエが止まる超遅球など、人間のレベルじゃない。
変化球
「不知火は速球投手なのに変化球もいい。球種も多い」(山田太郎、プロ野球編1年目)と言われるように、とにかく変化球が多い。カーブ、シュート、フォーク、超遅球、イナズマが持ち球である。
このうち超遅球は高校時代にどんな球も打つ山田のタイミングを外すために作り出した。その効果は抜群で、指先一つで投げ分けるため、見極めることは不可能で、山田は打てなくなった。またイナズマはプロ9年目に編み出した。カットボールがダブルで来るような変化をし、山田の打撃を狂わせた。
帽子と右目
帽子の庇の一部が割れて(欠けて)おり、その隙間から右目だけが見える。
前述のように当初は左目が義眼だったため、その点に関連した演出だった可能性があるが、
目の治療をした後も同様の描き方をされている。
本当ならば顔を描くときの角度によって、庇の割れ目と右目の位置が一致しないこともあるはずなのだが、
この点が不知火のトレードマークということもあり、目の位置に合わせて庇の割れ目を描かれる。
このため割れ目の位置は、下記のようになっている。
正面向き:帽子の真ん中よりやや右
右斜め前向き:帽子の右端近く
左斜め前向き:帽子の真ん中よりやや左