概要
名前の読みは「さだまさ」だが、通り名として音読みにした「ていしょう」と読まれることも多い。
戦中に見た円谷英二による戦争映画を本物と勘違いし、戦後円谷の元を訪ねて作り物だったことに強い衝撃を受ける。
そして円谷に弟子入りし、1954年の『ゴジラ』では特撮班のカメラマンを担当。以後の円谷組でもカメラマンを担当した。また、円谷監督共々飛行機好きなため、ロケハンで2人でセスナを飛ばしたこともあったとか。
ちなみに現在も使われている東宝のマークを作ったのは彼である。
その後、テレビの時代になると『ウルトラQ』『ウルトラマン』で特撮の演出をした後に、『怪獣島の決戦ゴジラの息子』で円谷に次ぐ2代目東宝特技監督となる。
しかし1970年の円谷の死に強いショックを受けて東宝を離れ、『愛の戦士レインボーマン』等のテレビ作品で活躍した。
作風
操演に定評があり、『ゴジラの息子』のクモンガは東宝の操演怪獣の最高傑作である。
また「怪獣総進撃」でのマンダの絡みつきや「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ決戦!南海の大怪獣」のゲゾラの演出も有川監督ならではである。