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概要編集

1925年6月17日生まれ。東京都(当時は東京府)出身。

名前の読みは「さだまさ」だが、通り名として音読みにした「ていしょう」と読まれることも多い。


戦中に見た円谷英二による戦争映画を本物と勘違いし、戦後円谷の元を訪ねて作り物だったことに強い衝撃を受ける。

そして円谷に弟子入りし、1954年の『ゴジラ』では特撮班のカメラマンを担当。以後の円谷組でもカメラマンを担当した。また、円谷監督共々飛行機好きなため、ロケハンで2人でセスナを飛ばしたこともあったとか。

ちなみに現在も使われている東宝のマークを作ったのは彼である。


その後、テレビの時代になると『ウルトラQ』『ウルトラマン』で特撮の演出をした後に、『怪獣島の決戦ゴジラの息子』で円谷に次ぐ2代目東宝特技監督となる。


しかし1970年の円谷の死に強いショックを受けて東宝を離れ、『愛の戦士レインボーマン』等のテレビ作品で活躍した。


2005年9月22日、肺がんにより死去。享年80歳。


作風編集

操演に定評があり、『ゴジラの息子』のクモンガは東宝の操演怪獣の最高傑作である。

また「怪獣総進撃」でのマンダの絡みつきや「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ決戦!南海の大怪獣」のゲゾラの演出も有川監督ならではである。

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