『艦隊これくしょん』のキャラクター群については→「阿賀野型」。
『アズールレーン』のキャラクター群については→「阿賀野型(アズールレーン)」。
『アビス・ホライズン』のキャラクター群については→「阿賀野型(アビス・ホライズン)」。
阿賀野型軽巡洋艦
阿賀野型軽巡洋艦は、第二次世界大戦直前の時期に日本海軍で構想されていた甲乙丙の三形式の巡洋艦の内、駆逐艦の集団である水雷戦隊を率いる正統派の軽巡洋艦である乙巡として、老朽化した5,500t型軽巡(球磨型・長良型・川内型)を更新する意図で計画された。
丙巡大淀と並んで、日本海軍の軽巡洋艦最後の艦型である。同型艦は4隻。
15.2センチ主砲連装三基と火力は世界的に見れば強力とは言い難いが、陽炎型などの新型の駆逐艦に応じるだけの速力(35kt)と、魚雷兵装(61cm四連装魚雷発射管二基)、加えて水上機2機による偵察力と、水雷戦隊旗艦として相応しい能力を備えていた。
また、海軍軍終条約による軍艦保有数制限の絡みもあって長らく純粋な軽巡洋艦の建造が行なわれていなかった事と、その間の技術革新を反映した設計も合わさって5,500t型軽巡と比べるとスマートな印象となった。
基準排水量が約6,600tと一回り大きくなっているが、全長や全幅はさほど変わっていない。
しかし、一番艦「阿賀野」さえ竣工した時期は1942年10月31日で、既にミッドウェー海戦後で海戦は空母や陸上基地からの航空攻撃が主流となり、その能力を発揮する機会は殆どなかった。
最終艦の酒匂に至っては、竣工したのは既にレイテ沖海戦後であり、燃料不足等の影響で殆ど活動していない。
既存の5,500t型軽巡洋艦と違い、本級は対巡洋艦戦闘を考慮して、より口径の大きな「四一式 15.2cm(50口径)速射砲」を採用した。
前身は巡洋戦艦「金剛型」の副砲として採用された「ヴィッカース式 15.2cm(50口径)速射砲」のライセンス生産品で、正規な口径は152.4mmであった。
その性能は重量45.36kgの砲弾を仰角45度で射程21,000mまで、最大仰角55度で最大射高8,000mまで届かせる事が出来た。
元は単装砲架の砲郭で使用するこの砲を新たに砲架と砲室を新設計して収めたが、これは1基あたり約72トンの軽量砲塔で、砲身の上下角度は仰角55度・俯角5度である。旋回角度は舷側方向を0度として左右150度の旋回角度を持っていた。砲身の俯仰・砲塔の旋回そして揚弾は電力と油圧で行われたが装填は人力だった為、発射速度は毎分5~6発である。
高角砲の不足を補う為、主砲の仰角は最大55度まで取る事が可能で、対空戦にも使用する事が出来るという触れ込みではあったが、実際は砲塔内の容積不足から固定角での装填となり、1発撃つごとに砲身を7度に戻してから手動で装填せざるをえず、対空戦闘での実用的な発射速度は発揮できなかった。
むしろ、艦が回避行動を採って傾斜した際に照準動揺修正が追いつかない事から、九四式五型照準装置の改良が必要とされた。また、対空戦闘における旋回能力の低さも指摘されている。
防御面は、15cm砲弾に耐えられるだけの防御力が与えられている。
装甲にはCNC鋼鈑が使用されており、重要区画にはより重厚な防御がなされている。
最期
同型艦は阿賀野・能代・矢矧・酒匂の4隻。なお、阿賀野以外の三隻……能代は武蔵、矢矧は大和、唯一終戦を迎えた酒匂は長門と、それぞれ帝国海軍を象徴する戦艦と最期を共にするという数奇な運命を辿っている。また全て軍直轄の工廠で建造されており、5,500t型の様に民間の造船所で製造された艦はいない。
No | 艦名 | 工廠 | 起工 | 進水 | 竣工 | 戦没 |
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一番艦 | 阿賀野 | 佐世保 | 1940/06/18 | 1941/10/22 | 1942/10/31 | 1944/02/16 |
二番艦 | 能代 | 横須賀 | 1940/09/04 | 1942/07/19 | 1943/06/30 | 1944/10/26 |
三番艦 | 矢矧 | 佐世保 | 1941/11/11 | 1942/10/25 | 1943/12/29 | 1945/04/07 |
四番艦 | 酒匂 | 佐世保 | 1942/11/21 | 1944/04/09 | 1944/11/30 | 1946/07/01(海没処分) |
その名を継ぐ艦
能代は2度、海上自衛隊の護衛艦名に受け継がれた。その後、矢矧、阿賀野の艦名も復活している。
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大淀···同時期に建造された軽巡洋艦。酒匂と共に終戦を迎え、こちらは戦後に解体されている。