概要
第二次世界大戦時、最新鋭の水雷戦隊旗艦用の軽巡洋艦であった阿賀野型の一番艦。
だが既に海上の主力は水雷戦隊を含む水上艦ではなく航空機に移り変わっており、その真価を発揮する機会は殆どなかった。
艦名は、福島県に源流を持つ新潟県の河川、阿賀野川(福島県内では荒海川、阿賀川)に因んで命名された。
・1940年6月18日、佐世保工廠で起工。1941年10月22日進水。1942年10月31日竣工。
・同年12月、トラック諸島に入港。第10戦隊の旗艦となる。
・1943年11月1日、ブーゲンビル島沖海戦に参加。米艦上機と敵潜スキャンプの雷撃を受け航行不能(この後また別の潜水艦に狙われるも、護衛の爆雷攻撃で難を逃れる)。姉妹艦の「能代」に曳航されトラックへ向かう。また、この損傷で第10戦隊旗艦の任を解かれる。
・1944年2月16日、本修理の為本土回航中にトラック諸島北方沖にて米潜水艦スケートの魚雷2本を受け炎上し、日を跨いだ深夜に、着任した姉妹艦「矢矧」と入れ替わるように沈没。ちなみに沈没前の航行不能時に出した救援要請を受けて、軽巡「那珂」がトラック島から駆け付けたが間に合わずトラックに引き返している。その途中で那珂はトラック島大空襲に遇い、戦没した。
その名を継ぐ艦
「阿賀野」の艦名は、旧日本海軍においては当代のみで終わり、その後継組織たる海上自衛隊でも使われてこなかったが、本艦戦没から78年10ヶ月の時を経て、もがみ型護衛艦の6番艦として、2代目「あがの」が2022年12月21日に進水した。
なお、海自においては同じもがみ型「のしろ」「やはぎ」が先行して進水しており(それぞれ3番艦と5番艦)、姉妹関係は旧海軍の能代や矢矧とは逆になっている。