第一水雷戦隊
だいいちすいらいせんたい
史実においては、主力艦隊である第一艦隊に所属、主力部隊の護衛を主な任務としていた水雷戦隊である。
その性質上、開戦当初は前線に出ることは比較的少なく、攻撃的で華々しい任務に従事することは少なかった(対艦戦闘はアッツ島沖海戦のみ)。
では戦艦と一緒に後方で待機していたのかというと必ずしもそうではなく、第十戦隊結成までの、ミッドウェーより前の作戦において阿武隈と一七駆、くわえて借り物の一八駆などが赤城などの機動部隊の護衛任務を担っていたり、その他たびたび他部隊の任務を手伝っている他、戦況の悪化や部隊再編に伴い、次第に前線へと投入されていき、そのほとんどが戦没するまで奮戦している。また、第四水雷戦隊に負けず劣らず多くの武勲艦が配属されていた。
主なメンバーとしては、旗艦の阿武隈の他には
であろうか。
早期戦没した子日(1942年7月5日に戦没している。)を除けばちょうどマリアナ沖海戦後の編成である。また、七駆については上記の通り曙と潮の2隻編成となってはいるが、1944年1月1日に一水戦に復帰した時点ではこれに漣も加わっていた。しかし、復帰からわずか11日後の同年1月12日に漣が戦没したため、実質的にこの編成になった。また、十八駆は1944年3月末までは第九駆逐隊という名称だった。
なお、第四水雷戦隊の武勲艦朝雲も、木村昌福少将の一水戦異動(1943年6月8日)から遡ること約2か月前(1943年4月1日)に単身一水戦に異動。開戦時12駆の上記「薄雲」とその僚艦「白雲」(ただし、厳密に言えば薄雲は開戦前年の機雷接触により損傷し、12駆から外れていた。また、昭和17年度海軍戦時編制によると、薄雲及び白雲の2隻で第51駆逐隊を編成する予定だったが時局の変化で取りやめとなる。51駆は結果欠番である。)で第九駆逐隊を再編成している(この時点で峯雲及び夏雲を喪失しており(峯雲は朝雲の一水戦編入から27日前の1943年3月5日のビラ・スタンモーア夜戦にて、夏雲は半年前の1942年10月のサボ島沖海戦でそれぞれ戦没している)、さらに山雲に至っては1941年12月31日にサンフェルナンド灯台沖で誤って味方の機雷に触れて損傷したために修理中であったため、9駆は事実上空中分解直前の状態だった)。
霞・不知火はこの9駆に編入後18駆を再興したが、朝雲は霞編入(霞の編入は1943年9月1日)の2ヶ月後、第十駆逐隊に転属している(1943年10月31日付で転属。なお不知火の編入はその4か月後の翌1944年3月1日なので、不知火は朝雲とは僚艦になったことがない)。
太平洋戦争開戦時の編成は以下の通り。
- 旗艦:阿武隈
第六駆逐隊は、元より(損傷により除かれた響以外は)南方の激戦区に貸し出されていたが、アッツ島沖海戦後、龍田を旗艦とした教導艦隊である第十一水雷戦隊へと(書面上)転属された(この当時、暁は第十戦隊の一員として参加した第三次ソロモン海戦で既に戦没していた)。
なお、キスカ島撤退作戦はその後だが、響はまたもや僚艦と異なり北方に残ってこれに参加している。
ミッドウェー海戦前に第十戦隊が結成された際、第17駆は第十戦隊へと転属された(要は主力艦隊の護衛を担い続けることとなった)。
その後、第一艦隊所属水雷戦隊は、一水戦が北方の第五艦隊に、三水戦が南方の第八艦隊に、それぞれ転属されている。
第二七駆逐隊は阿武隈と共に作戦に出ることは殆どなく五航戦の護衛についたあと、四水戦に転属となり比較的激戦区に投入される。その後、神通の戦没に伴い四水戦を解隊、二水戦に編入されている。
緒戦での作戦を終えた最初の編成替えで四水戦から古巣の一水戦に復帰した第二四駆逐隊(海風・山風・江風・涼風)はミッドウェー海戦に主力艦隊護衛任務に就く(当時涼風は損傷修理中)ものの、直後の別任務で単独行動をしていた山風が米潜により襲撃を受け轟沈。行方不明のまま7月の艦隊再編成時に二水戦に異動となり、ソロモンの激戦区で活躍した。
開戦時二水戦所属の第十八駆逐隊は開戦時の真珠湾攻撃等で阿武隈の指揮下、並びにその方面で活動しており、キスカ湾での壊滅による入渠から復活した後は、復帰した霞と不知火は第九駆逐隊編入後第十八駆逐隊を再興する形で一水戦の一翼を担った。
この第九駆逐隊は元々朝潮型中期ロット4隻の駆逐隊として開戦時は第四水雷戦隊所属であったが、稼働艦が朝雲のみとなった後、吹雪型の薄雲及び白雲の編入と当時に第一水雷戦隊所属となった。(なお、朝雲は第十駆逐隊に転出、白雲は1944年3月16日に戦没したため改編18駆に所属できなかった。)
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第七駆逐隊は戦中に限ればアリューシャン作戦の頃からの編入であり、同作戦で朧(当時は横須賀鎮守府警備駆逐艦)が撃沈(同時に同行していた初春も大きな損傷を負い、長期間の入渠となる)、その後南方などにたびたび出張していたが、漣の戦没の直前の時期に北方第五艦隊に復帰となる。
尚、戦中在籍日数が最長であった駆逐艦は初霜であり、沈没後の除籍までのラグも含めるならば初春がこれに並ぶ。
名ありの作戦に参加した個数の最多は7個(礼号作戦含む)の霞、次点は潮と初霜の4個。
また、実を言えば先述にもしれっと書かれている通り、阿武隈は開戦前にも一水戦旗艦を務めていた。その第一次旗艦当時の部下は睦月型の22駆と30駆、神風型の29駆、初春型の21駆、初春型・白露型混成の9駆(開戦時の27駆)による編成だった。1939年11月に一水戦旗艦に復帰してからの部下は6駆・21駆・24駆・27駆の他に白露型の2駆と綾波型の7駆が配属されていた。
主な功績としては、キスカ島撤退作戦、第二・第四次多号作戦(阿武隈没後、霞指揮下)などがあり、その他参加作戦は真珠湾攻撃、セイロン沖海戦、アリューシャン作戦、アッツ島沖海戦、スリガオ海峡海戦など。
オルモック湾の第三次多号作戦でまたも司令部が壊滅した二水戦司令部の代わりに一水戦司令の木村昌福少将及びその司令部をそのまま二水戦司令部としてスライドさせて二水戦司令部としている。(一水戦参謀の星野清三郎氏曰く「看板を替えただけで実質的には一水戦」)
連合艦隊最後の勝利といわれる「礼号作戦」において、この元一水戦司令部は大いに活躍することになる。
北号作戦の完遂で本土に帰投するまでは元一水戦司令部が二水戦の看板を掲げていたのだ。
後期になるまで激戦区から外れ北方にいたため末期に活躍した艦が多い。そのためか、改二も必然的に多い傾向にある。更に日本艦娘初の「改三」実装艦も所属経験がある。改二・乙/丁改、改三実装艦は、旗艦の阿武隈改二のほか、以下の通り。
駆逐隊 | 改二・改三(乙改/丁改)実装艦名 | 一水戦所属期間→異動先 |
---|---|---|
第六駆逐隊 | 響(Верный)・暁改二 | 開戦時~43年4月→第十一水雷戦隊 |
第十七駆逐隊 | 浜風乙改・磯風乙改・浦風丁改、谷風丁改 | 開戦時~42年4月→第十戦隊 |
第二一駆逐隊 | 初春改二・初霜改二 | 開戦時~44年1月、同年8月~解散 |
第二七駆逐隊 | 白露改二・時雨改二/時雨改三 | 開戦時~43年7月→第四水雷戦隊 |
第二四駆逐隊 | 江風改二・海風改二・山風改二/山風改二丁 | 43年4月~同年7月→第二水雷戦隊 |
第十八駆逐隊 | 霞改二/霞改二乙・不知火改二 | 43年9月※~解散 |
第七駆逐隊 | 潮改二・曙改二 | 44年1月~解散 |
※霞は43年9月~44年3月まで第九駆逐隊の所属。18駆は9駆の改称。また、不知火は44年3月編入。
※44年11月に解散し、残存艦は第二水雷戦隊に統合された。司令部は木村昌福少将以下、旧一水戦司令部が「看板の架替え」で二水戦司令部となっている。(司令官は1945年1月に木村昌福少将から古村啓蔵少将に交代しているが、北号作戦で帰国した一水戦改め二水戦司令部は矢矧に移乗し坊ノ岬沖海戦に参戦している。)
「第1水雷戦隊」任務において第七駆逐隊の残存艦の潮・曙と第十八駆逐隊の残存艦の不知火・霞の4隻を阿武隈が率いるという構図になっている。2021年3月に、ここで上げた全艦(スリガオ海峡海戦に加わった一水戦所属艦)全艦に改二が実装されている。
タミヤの艦これ艦船プラモ第一水雷戦隊セットでは、阿武隈(長良型)・霞(朝潮型)・不知火(陽炎型)でセットにされていた。
太平洋戦争開戦後に一水戦に所属した艦娘の中には、2023年3月現在で未だに新規描き下ろしがされていないものもいる。そして多くの人が聞き逃しているが、ボイスにおいて電は出撃前に「第一艦隊、第一水雷戦隊、出撃です」と自称している。当然、一水戦は天龍や龍田ではなく阿武隈の水雷戦隊である(ちなみに一水戦は六駆の除籍と同時に第五艦隊に移籍している)。
他の水雷戦隊所属艦に比べ、第一水雷戦隊所属を名乗る艦は、他の水雷戦隊所属艦に比べ少ない。
これは、開戦時点での一水戦所属艦はサービス開始時に6駆・21駆全艦、27駆のうち白露型が実装され、17駆もサービス2年目に全て揃っており、所属水雷戦隊を名乗らせるのががトレンドとなったのは3~4年目以降であったことも影響している。阿武隈改二実装も、この3~4年目の中に含まれている。
その後一水戦追加実装艦が改二を含めてもいずれも8年目に実装の「薄雲」「有明」「曙改二」、11年目直前に実装の「夕暮」まで居なかったこともあるかもしれない。
しかし11年目に突入した2023年8月9日に最後まで未実装であった「白雲」が実装された事により、ようやく戦時中の一水戦所属艦が全員出揃う事となった(白雲実装時点での改二未実装は乙丁改済みの17駆を除くと開戦時編成では21駆「子日」「若葉」、6駆「雷」「電」、27駆「有明」「夕暮」。編入・復帰組は9駆「朝雲」「薄雲」「白雲」、24駆「涼風」、7駆「漣」となった)。
二次創作においてはさほど数は多くないものの、イラストが散見される。
所属艦には第六駆逐隊や第十七駆逐隊など人気艦娘も数多いのだが、それぞれ駆逐隊で完結していて水雷戦隊全体に及ぶグループを扱った例はあまりない。
原因は恐らく阿武隈の入手難易度(中国では鋼八万と呼ばれるまでに手に入らないと話題になったとか)、神通や矢矧に比べて旗艦らしさが掘り下げられていなかった事、そしてなにより史実において第一水雷戦隊として活動したエピソードである『キスカ島撤退作戦』をモチーフにした3-2(キス島撤退作戦)が「軽巡を連れていけない」「その阿武隈を除いても、史実メンバーはイベントドロップでもない限り5隻しか集まらない」などの事情で各々の育った駆逐艦を使うというのが主流になっていたことか。
しかしノベライズ「陽炎、抜錨します!」漫画「止まり木の鎮守府」などで一水戦旗艦として面倒見の良い阿武隈が掘り下げられているのと、2015年の阿武隈の梅雨ボイスによる扱いの反動などから『一水戦旗艦としての阿武隈』に対して注目が集まっていた。
そして阿武隈改二の実装に伴い、遂に阿武隈が第一水雷戦隊旗艦を名乗るようになった。
2015年7月17日の阿武隈改二実装メンテナンスにより、3-2分岐条件が変更され、軽巡が旗艦なら連れて行けるようになり、さらに史実メンバーを要求する任務が実装された。加えて、秋雲が最低値での建造が可能になった為、建造や2-5ボスで阿武隈さえ引き当てれば、あとはコモンの秋雲、響、初霜、若葉、五月雨を引き当てれば3-2を最初から史実メンバーで攻略することも可能になった。
もちろん阿武隈と建造レシピが同じであるため、同じくレア艦の島風を引き当てれば組み込むことは可能、2-4でもドロップが確認されているため、阿武隈より先に手に入ることも多いだろう。
(1-6で掘ることにより朝雲をそろえることも一応可能ではある。3-2チャレンジ中に長波と邂逅する可能性はある。残念ながら、風雲・夕雲は3-2攻略後の海域でのみでしか入手できない。薄雲は白雲実装時点においても通常海域での臨時を含めて邂逅実績はない。素直に期間限定海域での邂逅機会を待とう。)
阿武隈の正月ボイスにて「今年も、阿武隈と一水戦のみんなをどうぞよろしくお願いいたします」と言っている。
水雷戦隊旗艦として提督に話しかけてくるのは、これと二水戦の神通の2015年秋イベント限定ボイスがある。
所属水雷戦隊旗艦を自称する艦娘には、二水戦の能代・矢矧(艦歴では10戦隊のほうが長いが)と四水戦の由良改二などがある。
戦時中(1941.12.8~1944.11.20)の在籍艦まとめ
- 旗艦:阿武隈 (没後臨時旗艦:霞)
- 第六駆逐隊:響 暁 雷 電 →11水戦(1943.4.1)
- 第十七駆逐隊:谷風 浜風 浦風 磯風 →10戦隊(1942.4.10) →二水戦(1944.11.15)
- 第二一駆逐隊:若葉 初霜 初春 子日 →二水戦(1944.11.20)
- 第二七駆逐隊:時雨 白露 有明 夕暮 →四水戦(1942.7.14) →二水戦(1943.7.20)
- 第四水雷戦隊→第二四駆逐隊(1942.4.10):海風 山風 江風 涼風 →二水戦(1942.7.14)
- 第四水雷戦隊→第九駆逐隊(1943.4.1):朝雲 薄雲 白雲 +霞(1943.9.1) +不知火(1944.3.1)
- 9駆解散再編成→第十八駆逐隊(1944.3.31):不知火 霞 薄雲
- 第十戦隊→第七駆逐隊(1944.1.1):曙 潮 漣 →二水戦(1944.11.20)
龍田
1919-21,22-23,26-27
天龍が二水戦旗艦を勤めていた頃、彼女が1919年(大正8年)に再興された一水戦を担っていた。天龍、夕張と交代し3回担当している。
川内
1930-31,33-34,36-40
第三水雷戦隊の代名詞である川内だが、開戦直前は川内・夕張・阿武隈で旗艦をローテーションしており、川内は3回旗艦を担当した。阿武隈の直接の先輩にあたる。
初回の部下には朝風・春風・松風の5駆(開戦時五水戦)、2度目の旗艦時には5駆に加えて睦月型の30駆(開戦時六水戦)と23駆、阿武隈に引き継いだ3度目の川内時代の部下は初春型の21駆、初春型・白露型混成の9駆(開戦時の27駆)、白露型の2駆と24駆(開戦時四水戦)がいる。3度目の旗艦時の司令官には「栗田ターン」で有名な栗田健男少将もいる。
なお、艦娘春風が料理の師匠を川内と言うのは、いわゆる第一艦隊での料理コンテストで川内が優秀な成果を収めたことと、この時期5駆が隷下にあったことに由来するためと思われる。
アニメ2期(「艦これ」いつかあの海で)における一水戦
レイテ沖海戦前夜を物語の起点とするアニメ2期では、西村艦隊所属艦がメインとして登場しているが、第一水雷戦隊に籍を置いていた艦のうち、以下の艦娘が登場している。太字はセリフあり。(艦名のあとの「※」は4話以降(史実での一水戦解散後)のシーンでセリフありの艦。3話までの太字艦との重複は表示せず。)
第一遊撃部隊第三部隊:時雨(27駆)・朝雲(この時期は4駆、一水戦所属時は9駆)
第一遊撃部隊第二部隊:浜風・磯風※(17駆)
第二遊撃部隊:阿武隈(一水戦旗艦)・潮・曙(7駆)・不知火(18駆)・初霜※(21駆)
※作中「栗田艦隊」「西村艦隊」等の名称は登場しない。特定の提督名を連想させることから作中では用いられていないものと推察できる。
別のシーンで登場:霞※(18駆→7駆→21駆)EDの「礼号組」及び「坊ノ岬沖組」で登場 ※初霜・霞・浜風・磯風はEDの「坊ノ岬沖組」でも登場。有明・夕暮は第7話回想シーン、白露は第1話及び第7話の回想シーンで登場。
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雪風戦時外日誌 13. 阿武隈
ゲーム「艦隊これくしょん」に着想を得て書き始めました。登場するのは擬人化した艦艇たちです。 着想はゲームなのですが、史実を一部反映させている(他の章も同様、大まかには沿っていますが、展開は史実通説と異なることがあります)こと、ゲーム未実装艦の登場、キャラクターと世界観が違うなど、ゲームとは違う内容、展開です。 今回は、雪風は一切登場しません。ここでの舞台は北方海域、奇跡の作戦と言われるキスカ島撤退作戦です。 この章での主人公は、一水戦旗艦にして、ゲームと全く異なり本シリーズでは超強気の性格の「阿武隈」です。合わせて、本シリーズで重要な役目を持つ駆逐艦「神風」が登場します。 ゲームをご存知の方は読みやすいと思いますが、別の話としてご覧いただけるとありがたいです。 少しずつでも書き進めていきたいと思います。ご覧いただけると幸いです。 なお、本シリーズは史実を反映した戦記物であり、戦闘及び戦没にかかる描写があります。悪しからずご了解ください。 ★7月25日に、二箇所の表記ミスを修正しました ★8月8日に一箇所、12日に数箇所、9月5日に数箇所表記表現を修正しました ★平成30年2月24日に、表現表記を数カ所修正しました52,073文字pixiv小説作品 - warfare in fog
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