概要
主に北方で活動した艦隊で、後に志摩艦隊として南方へも展開した。
参加した主な作戦はアリューシャン攻略作戦、アッツ島沖海戦、キスカ島撤退作戦、スリガオ海峡夜戦。
主な構成員
「那智・初霜・霞・潮・曙」の出撃任務あり。
第二一戦隊
以下、「那智・多摩・木曾・足柄」の編成任務あり。
那智・那智改二
この艦隊の旗艦。編入される前は第二艦隊の第五戦隊にて活動していた。
キスカ島撤退作戦では燃料の問題により、出撃を断念。
志摩清英中将が那智に座乗した時の第五艦隊のことを志摩艦隊と呼ぶ。
昭和19年11月5日マニラ空襲にて戦没。
多摩・多摩改二
那智が第五艦隊に来る前の旗艦。
キスカ島撤退作戦において、那智の代わりに司令部を乗せ督戦隊として参加。
北方迷彩が施されたことが有名で、一説によると「北方の美しき女王」と呼ばれていたとか。
レイテ沖海戦では小沢艦隊の一員として出撃したが、昭和19年10月25日エンガノ岬沖海戦にて被雷、単艦で沖縄へ回航中、アメリカ潜水艦ジャラオの雷撃を受け戦没。最近になって正式な慰霊が行われた。
木曾・木曾改二
多摩の僚艦で、同じく北方迷彩が施されている。
昭和19年11月14日マニラ空襲にて大破着底するも、沈没判定が出ず軍旗の掲揚などを行い続ける。
が、乗組員は後に陸戦隊員となり、船体は放棄された。
終戦後、現地にて解体される。
足柄・足柄改二
那智の姉妹艦。第二一戦隊に編入される前は南西方面艦隊の第一六戦隊旗艦として活動していた。
那智の没後、初霜から司令部を受け取り第五艦隊旗艦となる。
礼号作戦の後、他の艦が内地に戻っていく中、足柄(と羽黒)は南方に残り、第十方面艦隊旗艦となり第五戦隊に編入される。
輸送任務中の昭和20年6月8日、バンカ海峡にてイギリス潜水艦トレンチャントの雷撃により戦没、太平洋戦争にて最後に戦没した大型艦であった。
第一水雷戦隊
阿武隈・阿武隈改二
一水戦旗艦であり、奇跡の作戦といわれるキスカ島撤退作戦の立役者。
北方迷彩ではなく、アメリカ艦への偽装として煙突を白く塗っている。
昭和19年10月25日スリガオ海峡にてアメリカ魚雷艇の雷撃により損傷、潮に護衛され離脱するも、翌10月26日空襲によりネグロス島沖のスルー海にて戦没。
潮により救助されるも乗組員の多くは陸戦隊員となる。
初霜・初霜改二
一水戦在籍日数最長にして、二水戦最後の旗艦。第二一駆逐隊。
護衛任務において、戦闘艦であれば大和以外すべてを守り抜き、守り切れなかった輸送艦も数えるほどという経歴自体が一水戦の申し子。
那智の没後、第五艦隊の司令部を収容し、足柄までの移動を行った(将旗は恐らく掲げていない)。
キスカ島撤退作戦と北号作戦、奇跡の作戦と呼ばれる二つの作戦の両方に参加した艦。
昭和20年7月30日宮津湾空襲にて触雷、大破擱座。太平洋戦争にて最後に戦没した水上艦艇であり、国内で最後に解体された戦闘艦艇であった。
霞・霞改二・霞改二乙
阿武隈がスリガオ海峡で損傷離脱した際に継承した、一水戦最後の旗艦。第九駆逐隊、改称後第十八駆逐隊。
一水戦としては第二次、第四次多号作戦を成功させている。
島風座乗の二水戦司令部壊滅により、一水戦➡二水戦の司令官となった木村昌福少将により礼号作戦を敢行、帝国海軍最後の勝利を掲げる。北号作戦では第二水雷戦隊旗艦として参加し、日向に衝突するも軽傷、無事内地に帰投。
昭和20年4月7日、坊ノ岬沖海戦にて航行不能となり、前艦長が艦長を務める冬月の最初で最後の雷撃により処分。
潮・潮改二
損傷した阿武隈の護衛につき、空襲による沈没後、生存者を救助。第七駆逐隊。
マニラ空襲で被弾、ほぼ動けなくなりつつも日本本土へ帰り着き、横須賀で終戦を迎える。
かなり遅く解体されたことはわかっているが、どこで解体されたかはわかっていない。
最後の艦長は、初霜の最後の艦長の酒匂雅三少佐であった。
曙・曙改二
潮の僚艦。第五艦隊に来る前は何かと理不尽な扱いを受けていた不運艦というか不幸艦。第七駆逐隊司令駆逐艦。
第二次多号作戦にて奮闘するも、マニラ空襲にて戦没、木曾同様戦後引き揚げられ解体された。
初春・初春改二
初霜の僚艦。若葉や初霜と異なり、キスカ島撤退作戦には参加していない。第二一駆逐隊。
マニラ空襲にて戦没、この時炎上する初春の上げる黒煙が初霜を覆い隠し、守り抜いたという逸話がある(もっと詳しく言うと、確かなのは「米軍機は初霜も戦没したと確認したが、黒煙による誤認であった」ということなのでこれが初春のあげた黒煙なのかは疑わしいとの話もある)。
若葉
初霜、初春の僚艦。キスカ島撤退作戦において濃霧により起きた衝突事故による損傷が大きく離脱。
初霜、初春と共に志摩艦隊本隊との合流を目指す途中、昭和19年10月23日空襲によりスル海にて戦没。第二一駆逐隊司令駆逐艦。
乗組員は何人かは初霜に補充要員として乗り込むも、他は阿武隈などと同じく陸戦隊員となった。
何故か資料によっては擱座していたところを駆逐艦ウォーカーにより破壊と書かれているが、これは恐らく早霜の間違いだろう。若葉と早霜とでは全くサイズが違う。
不知火・不知火改二
霞の僚艦、もとい霞と共に一度死にかけた身。第一次多号作戦にて撃沈された鬼怒への救援に向かってくれるかと霞座乗の一水戦司令官に命令を出され向かう。その後擱座した早霜の救助に向かうも、空襲により爆沈。乗組員は全員亡くなっている。第五艦隊編入時第九駆逐隊、改称され第十八駆逐隊所属。編入後戦没まで同駆逐隊司令艦。
薄雲
霞、不知火の僚艦。(第五艦隊編入時第九駆逐隊、改称され第十八駆逐隊所属。)吹雪型7番艦であるが、触雷による入渠で三水戦としての作戦行動には出ておらず、第五艦隊傘下一水戦にて活動。
オホーツク海での輸送任務中に潜水艦から被雷、戦没した。
第三一戦隊
榧(かや)
松型駆逐艦。 礼号作戦に参加しており、その後も足柄のもとにつく(書面上の話なので要確認)。
内地に帰投した後は、秋月型最終番艦花月の下、三一戦隊として菊水作戦に参加し対潜哨戒任務を担うものの、練度不十分(特攻作戦のため若い犠牲を避けた)とされ、大和から反転命令を受ける。
戦後、ソ連へ賠償艦として引き渡され、意志の堅いという意味のВолевой(ヴァリヴォーイ)と名を改める。
レイテ沖海戦における第五戦隊(志摩艦隊)
レイテ沖海戦の「捷号作戦」によれば、第五戦隊は古巣の北東方面艦隊より南西方面艦隊に転属し、元より南西方面艦隊隷下の第十六戦隊と第二遊撃部隊(2YB)を構成するものとされた。
実際には、以下の編成で参戦している。併せて、捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)での解説を加える。
- 別動輸送隊【E3輸送隊史実艦】
- 第二一駆逐隊(若葉,初春,初霜) ※1
- 多号作戦第一次輸送隊(第十六戦隊) … 青葉 鬼怒 浦波 ※2
※多摩は小沢艦隊に編入、木曾は内地。
※E3史実艦は※1,※2いずれかを組み込むことで輸送ゲージ攻略中の空襲戦を回避できる。
※21駆は輸送作戦実施後志摩艦隊本隊に合流する予定であったが若葉の戦没により諦めている。