生没年 1896(明治29)年~1978(昭和53)年
生涯
県立諏訪中学校(現諏訪清陵高校)卒業後、海軍兵学校第45期生として入学。同期には沖縄特攻作戦で第二艦隊参謀長を勤めた森下信衛、戦艦大和艦長を務めた有賀幸作がいる。
中佐時代は駆逐艦呉竹や波風駆逐艦長、第二駆逐隊司令、駐英海軍武官などを勤め、1938年に大佐に昇進。
その後戦艦扶桑艦長を経て、1943(昭和18)年6月に戦艦武蔵2代目艦長となった。
11月に少将に昇進したあとの12月に第3艦隊参謀長となりマリアナ沖海戦を戦う。海戦後の10月、第一航空戦隊司令官となったためレイテ沖海戦には不参加。
1945(昭和20)年1月、第二水雷戦隊の最後の司令官となり沖縄特攻に参加。沖縄への途上で大和と同期の有賀の最期を見届けた。
二水戦の解散後は、横須賀鎮守府参謀長として終戦を迎えた。