戦争や災害など何らかの特別な需要によってもたらされた好景気。日本では第一次世界大戦中の成金景気(こんなのが生まれた)や太平洋戦争後、連合国軍占領下の1950~1953年の朝鮮戦争によるもの(朝鮮特需)を指す。
そして戦後や復興後の急激な需要減に対応できなかった場合、長い不況を味わうことになる。成金景気後の戦後不況は大戦中に勃興した成金たちの多くを没落させ、その後も関東大震災による恐慌(震災恐慌)、昭和2年の金融恐慌、そして世界恐慌の影響を受けたことで、日本は1920年代を不景気の中で喘ぐことになった。
朝鮮特需
1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、占領下の日本の産業にとって文字通り天佑となった。
朝鮮戦争に「国連軍」として参戦したアメリカ軍が、日本を出撃基地とし、武器弾薬や軍用サービスを日本で調達したため、「特需」と呼ばれる戦時需要が発生した。主に金属・機械工業と繊維工業が恩恵を受けたことから、「金へん・糸へん景気」と呼ばれた。
それまでの工員の職人芸で支えられていた日本の工場生産は、アメリカ軍の厳しい品質要求と大量供給の要請に応えるため、品質管理の技術をアメリカから学び、一気に近代化を遂げた。日本の工業製品の品質と生産性は目覚ましく向上、その後の日本製品飛躍の礎となった。
しかし、この特需景気により日本国民(の多く)がよい思いをしたというわけではなかった。日本人の多くはあまりにも貧しく内需は弱く、日本の産業は米軍の後方支援に傾斜したいびつなものになり、国をあげて言わばアメリカの兵站基地と化した。これが解消されるのは、企業が特需景気によって得た資金を設備投資に振り向けた「神武景気」を待たなくてはならない。
当時の日本はアメリカ式編制による陸軍4個師団を筆頭とする占領軍経費を「終戦処理費」として負担しており、これは各種朝鮮特需による売上の総額に匹敵する。当時のアメリカが日本を心配して復興を支援したわけではなく、現在の思いやり予算などからは想像も出来ない苛烈な現実があった。