解説
本土決戦は、ある勢力が本拠地まで追い詰められた際に展開される最後の戦い。
創作では攻勢側であれば最終決戦かそれに準ずる状態、あるいは守勢側であれば絶望的な末期戦といった状況で登場することが多い。
ただし、日本では一般に太平洋戦争が1945年9月に終結しなかった場合に発生し得た日本本土における連合軍と日本軍との最終決戦を指す。
太平洋戦争における本土決戦
太平洋戦争・大東亜戦争後期に日本軍と連合軍の双方が計画していたが、連合軍が本土に上陸する前に終戦となったため、実行されることは無かった。
しかし、その影響は今なお日本各地に戦跡として残っている。
日本軍の防衛体制・決号作戦
緒戦で優勢だった日本軍は、米英を主力とする連合軍が大規模な反攻作戦を開始すると太平洋における制海権、制空権を一挙に喪失。
特に1944年のフィリピン陥落以降に連合軍本土上陸の危機は現実のものとなり、このころから本土決戦を想定した決号作戦の策定が本格化することとなる。
1944年7月、九十九里浜、鹿島灘、八戸などの上陸予想地点に防御陣地を構築することが命ぜられた。
また、1945年6月には病弱者や満年齢が15歳以上で男性が65歳まで、女性が45歳までの者を対象に義勇兵とし、この対象から外れたものは戦闘区域外に退避させる「義勇兵役法」が制定。
陸軍は組織の再編によって指揮系統の最適化を図り、海軍でも残存艦艇の状況に合わせた指揮系統の変更が行われた。
松代大本営
日本軍の総司令部「大本営」は当初、天皇の統帥権の下で首都の東京に設置されていたが、空襲の目標として目立つ上、太平洋沿岸に近く上陸の危険が大きいため、1944年1月頃から長野県の松代への移転が計画された。
この計画は秘密裏に進められたが、工事が総工程の7割ほど進行したところで終戦となったため、実際に使用されることは無かった。この際に掘削された巨大な地下壕は今も戦跡として残っている。
連合軍の作戦計画・ダウンフォール作戦
米英を主力とする連合軍は日本本土への上陸を通じて戦争を終結させるためにダウンフォール作戦(Operation Downfall)を計画しており、この作戦は2つの主要な上陸作戦から成り立っていた。
- オリンピック作戦(Operation Olympic): 1945年11月の決行を予定していた九州南部への上陸計画。占領後、この地域に大規模な補給拠点・飛行場を建設することで本格侵攻のための足掛かりとする手はずだった。
- コロネット作戦(Operation Coronet): 1946年春の決行を予定していた作戦。本州の関東平野、特に東京湾周辺への上陸を目指し、日本の政治的中心を直接攻撃することを意図していた。
これらの作戦で連合軍は原爆や毒ガス兵器のほぼ無制限な使用を想定しており、実際にこの戦いが展開されていれば日本全土が悲惨な運命を辿ったことは想像に難くない。
創作において
コロネット作戦 | 松代1961 |
---|
実際に行われた作戦ではないため、本土決戦そのものが題材になる作品はあまり一般的ではない。
手記や史実通りの太平洋戦争を描いた作品では「本土決戦のための土木工事に動員された」あるいは「本土決戦を想定した軍事教練を受けた」という描かれ方をされることがほとんどとなっている。
一方、史実からの改変が可能となる架空戦記・仮想戦記の分野では最もポピュラーな題材の一つで、終戦時に試作段階にあった兵器の実戦における活躍が描かれる作品は数多い。
pixivにおける本土決戦タグの付けられた作品も、終戦により未完に終わった五式中戦車の活躍を描いたものが多数となっている。