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本土決戦

ほんどけっせん

本土決戦とは、太平洋戦争中に大本営によって計画されていた作戦である
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太平洋戦争中に大本営において計画されていた作戦の一つ。

連合軍が本土に上陸する前に終戦となったため、実際には実行されることは無かったが、日本各所に様々な影響を残した。


概要編集

太平洋戦争の緒戦においては優勢だった日本軍だが、連合軍による大規模な反攻作戦が開始されると、太平洋における制海権、制空権を失う事となった。

特に、フィリピンを喪失してからは連合軍が本土に差し迫るのは時間の問題であった。

しかしながら、当時は国体の護持は絶対的な最優秀課題であったため、あくまでも徹底的な抗戦を行い皇室を護るという方針であった。


本土の防衛編集

 1944年7月には、九十九里浜、鹿島灘、八戸などに防御陣地を構築することが大本営参謀総長によって命ぜられた。

 また、病弱者やごく高齢の者以外の国民の殆ど全員を対象とした「義勇兵役法」が制定された。

 これは満年齢が15歳以上で男性が65歳まで、女性が45歳までの者を義勇兵として動員し、この対象から外れたものは戦闘区域外に退避させる計画であった。

 陸軍においては組織の再編を行って指揮系統の最適化を図り、海軍でも実情に合わせた指揮系統の変更が行われた。


松代大本営編集

大本営は言うまでもなく首都である東京に設置されていた。

ところが、東京は太平洋沿岸に近く、実際に空襲にも遭っており(ドーリットル空襲)敵の飽和攻撃が行われた場合は危険であると判断された。

そこで、1944年1月頃から大本営を長野県の松代に移転する計画が秘密裏に立案された。

工事は7割ほど進行したところで終戦となったため、実際に使用されることは無かった。

 同時に三種の神器を祀る賢所も松代に移すという計画が持ち上がった。しかしながら、畏れ多い場所である賢所の様式を知る者が少なく、どのようにして作ればいいか分からないという問題から、工事は難航したという。


創作作品において編集

実際に行われた作戦ではないので、架空戦記を除いては本土決戦そのものが題材になる作品は少ない。

手記や史実通りの太平洋戦争を描いた作品では「本土決戦のための土木工事に動員された」或いは「本土決戦を想定した軍事教練を受けた」という描かれ方をされることが殆んどである。


しかしながら、終戦と共に破棄された試作兵器の活躍を描いたり、本土決戦を想定して掘削された地下施設を題材にした作品があったりと一定の需要がある題材である。

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