概要
戦争末期の1945年3月、同年秋に本土決戦があると判断した帝国政府は一億玉砕を掲げ国民義勇隊を創設。6月までに大政翼賛会や女子挺身隊などの組織を吸収合併し、町内会や職場ごとに民間防衛のための組織化を行った。
設立当初は戦闘を目的としない予定だったが、兵士不足を補いたい陸軍の強い要請により6月22日に義勇兵役法を出して戦闘部隊である国民義勇戦闘隊を編成した。
これに先立つ1944年12月には既に本土以外(沖縄など)に陸軍省令を出して14歳~17歳の少年を徴兵し「鉄血勤皇隊」「護郷隊」という少年兵に仕立て上げていたが、この法令で徴兵範囲はさらに拡大。15歳~60歳の男性に加え、17歳~40歳の女性までも根こそぎ徴兵が可能となった。
在郷軍人を組織した地区特設警備隊によって訓練され、軍から地区特設警備隊を経由して国民義勇戦闘隊を指揮することとなっていた。
結局本土決戦は起こらず9月2日をもって解散となった。
兵器
兵器は極めて劣悪なものだった。正規の銃はもはや数が少ないため、より多くの幹部に配布するための、火縄銃をモデルとした国民簡易小銃が開発された。
江戸時代の刀剣や弓矢が引っ張り出されたり、鎌などの農具を転用し、それらがない場合竹槍などが配布された。