概要
企業や家庭で使用した後の排水や、雨水・雪解け水を集めて処理場に送るための配管設備。都市の衛生を守るために欠かせない。
臭い・暗い・汚いのいわゆる3Kのイメージがつきまとう。
また網目状に張り巡らされていることより、映画やゲームでは秘密の通路やダンジョンとしても頻繁に登場する。
ホラー作品でも薄暗く不気味な雰囲気から創作の題材として人気が高い。
下水道は収集方法によって、汚水と雨水を同じ管路で集めてまとめて処理する「合流式」と別々に集め雨水はそのまま、汚水は浄化処理して放流する「分流式」がある。
日本の下水道
運営は各自治体によって賄われている。「民間活力の活用」が叫ばれる近年では、下水道の運営を外資系企業に一括委託しているケースもあるが、下水道法の規定で自治体が民間に施設を売却することはできない。
日本では江戸時代の大坂に設置された「太閤下水」が最初の下水道と言われる。
戦前は上水道の整備すら十分でなかったことと人間の糞尿を肥料(下肥)として用いていたので下水道の整備が遅れたが、1922年(大正11年)に初の下水処理場の三河島汚水処分場が稼働を開始。以降大都市圏で徐々に整備が進められたが……
最初の処理施設が三河島なんて内陸にあることで分かる通り、江戸期に既に過密になっていた東京は、下水道を新規敷設は遅々として進まなかった。
長年鎖国によって、外来の疫病を阻んできた日本だったが、開国によりコレラの蔓延が度々発生。この為、東京、大阪の二大都市は早急な下水道整備が必要とされた。
この場合における下水道は、病原体の繁殖の原因となる雑排水を都市から速やかに排出することが最大の目的で、排水浄化ではなかった。
日本は鎖国の関係で産業革命が遅れたため、年次的には遅れているが、他の西欧列強の下水道も初期においては同じだった。
この目的のため、大阪においては、既に上記の「太閤下水」があったため、そこから発展する形で下水網が整備された。古典下水から近代下水への切り替えも、比較的スムーズに行われた。
この大阪の太閤下水の近代下水転用区間は現在も大阪市とその周辺の下水道の本線の一部となっているとされ、そのうち大阪市中央区・西区にまたがる全長7,077.44mは確実に江戸期以前に建設されたものとされており、大阪市指定文化財となっている。
一方で東京は、新設が思うに任せない中、明治期と、大東亜戦争後の混乱期に、都市の衛生改善に迫られた結果、この2つの時期に東京市内→23区内を縦横に走っていた、中小河川、用水路、運河を暗渠化して下水道とした(要するに臭いものにはフタをした)。
この為、東京の下水道は処理場に直結しておらず、放出口(旧河口、もしくは主要河川との合流点)の、汚染の酷い順からポンプ場を設けて、汚水を組み上げて水再生センターへ送るという形態になっている。
東京の下水道はこれによって高度経済成長期に一気に整備が進んだ。だが、実態は浄化設備が伴わない古典下水に過ぎなかったため、東京湾内の水質はむしろ悪化した。
特に酷かったのが荒川東岸地域。荒川という巨大人工河川が横たわっているために、目と鼻の先の三河島汚水処分場に汚水を送水することができなかった。
また、この当時は足立区北部や葛飾区東部などは営農地が多かったのだが、トイレの水洗化が進む反面、下水汚泥の再利用が遅れたため、下肥利用の為に下水道への接続が遅れることになった。
この地区の抜本的な改善が、徐々に進み始めたのは、葛西・小菅・中川の3ヶ所の処理場が稼働を始めた1984年以降。『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で、1989年にもなって両さんが「東京を変えるなら下水道からなんとかしろ!」(57巻)と言っている。
この頃には既に、高度経済成長期からバブル期の地価高騰によりベッドタウン化した大都市近郊の地方都市や、県庁所在地級の地方中規模都市、小規模町村にも、主に新規造成の住宅地やリゾート地を中心に下水道の整備がかなり進行していた。これは、複数の市町村の汚水を都道府県管理の処理場で一括処理する流域公共下水道のコストパフォーマンスの安さが決めとなった。
日本の下水道普及率は79.3%だが普及の度合いは地域によって極端に差があり、東京23区をはじめ普及率がほぼ100%の地域も多い一方、徳島県の普及率は18.1%に過ぎない。
ただし、一般的に下水道と認識されるものでも、農村・漁村などに設置される集落排水施設(農林水産省及びその配下官庁の管轄)、特定地域生活排水処理施設や地域下水(環境省管轄)は、「下水道類似施設」とされ、日本の法律上の下水道(国土交通省管轄)とはそれぞれ区別されることもあり、調査主体によってこの数字は差異が出る。近年では処理施設の老朽化対策の一貫として、「下水道類似施設」の近隣処理区域や公共下水道への編入が進められている。
下水道法第11条の3の規定では、公共下水道が整備され下水が処理できる区域になった日から3年以内に汲み取り便所を水洗便所に改造し、下水道へ接続しなければならない。
海外の下水道
下水道自体は古くからあり、紀元前5000年頃 メソポタミアの都市国家群の遺跡で排水溝が、紀元前3000年頃~紀元前2000年頃 モヘンジョダロ遺跡で水洗便所と排水溝でつながった「地下浸透桝」や沈殿池を備える「下水道設備」が見つかっている。
紀元前600年頃にはローマで築造されている。
1370年にフランス・パリに本格的な下水道が築造され、後に1740年頃に環状大下水道が完成しヴィクトル・ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』(1862年)の舞台になったり、1832年に市全体に整備される際に電話ケーブルや圧縮空気管、交通信号ケーブルなども収めた「共同溝」を初めて築造された。(参考)
1914年にはイギリスに活性汚泥法(微生物を用いた下水の近代的処理方法)の最初の処理場ができている。