アレン・M・サムナー級
あれんえむさむなーきゅう
アメリカ海軍ではワシントン・ロンドン両軍縮条約の期限が明けてから、制限に縛られない大型駆逐艦の第一陣としてフレッチャー級駆逐艦の量産を開始した。
しかしより強力な艦を求めたアメリカ海軍は、12.7cm両用砲を6門搭載した駆逐艦の建造を開始した。
設計
サムナー級の船体はほぼフレッチャー級と同一のもので(全長が20㎝、全幅が5cm大きくなっただけ)、12.7cm連装両用砲を3基、さらにフレッチャー級同様の53.3cm5連装魚雷発射管を2基、更に40mm機関砲、20mm機銃を多数搭載している。
一方で装備を詰め込んだことで弊害も発生していた。機関部はフレッチャー級と同一のものを搭載することで航続距離の同一を図ったが、排水量の増加と航続距離と速力は減少してしまい、さらにトップヘビーが進んだことで結果としてあまり成功した艦級とはみなされず、100隻の建造予定が58隻で取りやめられ、後継型としてギアリング級が建造されることになった。
第二次世界大戦では23番艦「メレディス」がノルマンディー上陸作戦で触雷沈没したのを皮切りに、4隻が戦没している。
戦後もフレッチャー級やギアリング級とともに改装を受けつつアメリカ海軍の一翼を担っていたが、ベトナム戦争前後に次々と退役し、あるものはスクラップにされ、あるものはブラジル・韓国・トルコ・中華民国(台湾)など西側諸国へ売却されていった。米海軍で最後まで現役を貫いたラフェイは1975年の退役後は記念艦となっている。
朝鮮戦争を経た1964年、ベトナム・トンキン湾で哨戒任務にあたっていたサムナー級28番艦「マドックス」が北ベトナム海軍の魚雷艇による攻撃を受けた。このトンキン湾事件を皮切りにアメリカがベトナムへ深入りすることとなり、ベトナム戦争が激化していくこととなった。