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鵜来型海防艦

うくるがたかいぼうかん

大日本帝国海軍の建造した海防艦のグループのひとつ。御蔵型海防艦の準同型艦で、艦艇類別等級別表上では御蔵型の一部として扱われる。
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概要

大日本帝国海軍により太平洋戦争中に南方航路の船団護衛向けに建造された海防艦。御蔵型の準同型艦であり、艦艇類別等級上は御蔵型として扱われている。同時期に建造された日振型(鵜来型と同じく御蔵型の準同型艦)とは艦形・性能ともに近い(基本計画番号もともにE20bで共通)ものの、後述する通り装備に差が見られる。

経歴

建造

北方海域の海上警備用としての性格から脱却しきれなかった占守型択捉型に対して対空・対潜能力を強化して汎用性を高めた御蔵型であったが、それでも製造過程における工数が多く平均建造期間9ヶ月と量産性は必ずしも良くはなかった。そこで性能や外形寸法は極力そのままに、船体の曲面部分を平面多角形化するなど構造の大幅な簡略化を図った改良型を設計する事となった。これが鵜来型と日振型である。

この頃には貨物用の戦時標準船の建造経験などから、溶接の多用、二次曲線の省略、ブロック建造法など、工数省略のノウハウが蓄積されており、結果、鵜来型は御蔵型工数57,000に比べて、1番艦で工数42,000、2番艦以降は30,000以下と、約半分に削減された。(計画で工数90,000、実際には100,000を越えたと言われる占守型に比べれば、なんと3分の1以下である)
平均建造期間も半分の4ヶ月半にまで短縮されている。

このように船型はほぼ完成の域に達した鵜来型だったが、最後の最後にネックとなったのが主機(エンジン)だった。
甲・乙型海防艦は、占守型から一貫して22号10型ディーゼルエンジンを主機に採用していた。長年にわたって改良・熟成が重ねられた優秀な機関で、生産性も悪くはなかったものの、もともとは潜水艦用として開発された機関であり、同じく増産体制にあった潜水艦との“食い合い”の格好となって、海防艦向けには十分な数を確保できなかったのである。
その為、日振・鵜来型のみで頭数を揃える計画は断念せざるを得ず、以後の海防艦の整備・建造は、より簡素化した丙型(第一号型海防艦)、丁型(第二号型海防艦)を主力とする方針となった。
とはいえ、性能で劣る丙型、丁型だけでは、足の速い優秀船で組んだ船団の護衛は難しいため、高速船団の護衛向けに、鵜来型の建造も並行して進められた。今で言うところの“ハイ・アンド・ロー・ミックス”である。

兵装

御蔵型の艤装や兵装をほぼそのまま踏襲した日振型と異なり、鵜来型は更なる対潜能力の向上が図られている。御蔵型や日振型は機雷掃海任務にも当たれるよう単艦式大型掃海具を搭載していたが、鵜来型はこれを搭載しない代わりに最新の三式爆雷投射機を片舷8基(両舷16基)搭載、御蔵型や日振型の4倍もの爆雷を一度に投射可能となった。あたかも“投網”のように爆雷の大きな輪を作って、敵潜を包み込んでしまう戦法で、諸外国にも例を見ないユニークな搭載法である。
ただし、弾庫から甲板に爆雷を引き揚げる揚弾機が故障がちだったのが悩みの種だったと言われる。鵜来型の投射器は甲板に半埋め込み式とされ、装填は容易となっていたが、さすがに人力で16個もの爆雷を装填するのは大仕事だった。
優秀な前投兵器を欠いていた点も泣き所だった。一応、80mm迫撃砲が艦橋前に装備されていたが、あまりに低威力で効果がないとされ、撤去してしまった艦も多い。

水中探信儀についてもアクティブソナーを従来より高性能な三式探信儀に変更している。ただ、振動の多いディーゼルエンジンが災いして、鵜来型の水中放射雑音は「同速度の大和型より酷い」という有様で、ソナーの効きに悪影響を与えていた。
タービン主機の第二号型が登場すると、騒音の差はますます歴然となり、対策として9番艦・保高の主機に防振ゴムを噛ませる実験が行われた。成果は上々だったとされるが、他の海防艦にどこまで改良が普及したかは、明らかになっていない。

戦中の活躍

鵜来型は大戦中に20隻が建造された(他に未成艦が2隻)。弱点もあったものの、それまでの海防艦と比べれば対潜能力の大幅向上策が功を奏し、4隻が戦没した他は全艦が終戦まで生き残っており、日本海防艦としては最も喪失率の低い艦級となっている。
特筆すべき戦歴を記録したのは2番艦・沖縄で、他艦との協同ながら、SS-279・スヌーク(不確実)、SS-223・ボーンフィッシュの2隻の潜水艦を撃沈している。
終戦後、特別輸送船として復員輸送に活躍した艦も多い。

戦後の活躍

戦後多くが解体されたり連合国側に賠償艦として引き渡されたりなどしたものの、4隻(鵜来、新南、竹生、志賀)がその後も日本に残った。

生き残りのうち3隻がさつま(鵜来)、つがる(新南)、あつみ(竹生)と名を改めて海上保安庁に移籍。「おじか」の名を与えられた日振型「生名」とともにおじか型海防艦(初代)として活躍した。また、つがるは1957年に第一次南極観測に出発する宗谷に伴走し、さつまは南極観測を終え帰国途中の宗谷を出迎えたことでも知られる。つがるは1960年に船体を耐氷型に改造し、南極観測を終えた宗谷が移籍するまで第一管区海上保安本部の北洋警備に従事していた。

後に中央気象台定点観測船だった「こじま(志賀)」が一足遅れて海上保安庁に編入。第二復員省時代に米軍の連絡船として徴用されていた際に居住設備を強化されていたことから、特に海上保安大学校の練習船として遠洋航海などに用いられた。こじまは退役後も千葉市で記念館として保存され、1998年に解体されるまで日本海軍の艦艇としては最後までその姿を残していた(現在ただ一隻健在な旧海軍艦船である宗谷は、元特務艦艇籍)。

同型艦

  1. 鵜来(うくる)
  2. 沖縄(おきなわ)
  3. 奄美(あまみ)
  4. 粟国(あぐに)
  5. 新南(しんなん)
  6. 屋久(やく)
  7. 竹生(ちくぶ)
  8. 神津(こうづ)
  9. 保高(ほたか)
  10. 伊唐(いから)
  11. 生野(いきの)
  12. 稲木(いなぎ)
  13. 羽節(はぶし)
  14. 男鹿(おじか/をじか)
  15. 金輪(かなわ)
  16. 宇久(うく)
  17. 高根(たかね)
  18. 久賀(くが)
  19. 志賀(しが)
  20. 伊王(いおう)


関連項目

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